202509
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※研修会には、持田栄一氏のご子息・持田灯さん、門下生の池田祥子さんがご出席され、吉田先生よりご紹介がありました。3つ目に、仏教保育の前提となる持田栄一の仏教観・科学観をご紹介します。宗教と科学は一般的には交わらないものであると捉えられますが、持田が考える仏教は、むしろ科学的な態度に支えられているもの、さらには科学そのものでした。持田の仏教保育論は、編著にまとめられています。その中で、仏教においては「絶対神を措定せず、現実の人間の生活そのもののなかに仏の道が追求される」ので、「科学と人間は、より一体的なもの」と捉えられると述べています。日本の仏教思想では、「知識」は「知恵」として人間同士の関わりにおいて追求されてきました。知恵は、人間と人間の関わりの中で生まれ、その関わりの中で活きてくるものです。また、知恵は人間が互いにつくり出し合うものなので、知恵を教える者、教えられる者という区別はなく、ある時は教え、ある時は教えられるという「同朋・同行」の関係にあるといえます。例えば、友だちとどのくらいの距離感で付き合えばよいかということは、子ども同士がぶつかり合ったり、離れすぎて寂しさを感じたりしながら、少しずつ「真理を求める」という点におい直していくことが必要だ、という意味です。「絶対的人間」とは、支え合わなければ生きていけない無力で愚かな存在であり、仏教では「凡夫」と表現されています。持田は、人間は互いに自分の弱さと愚かさを認め合うことで、初めて互いが対等・平等だと気づけるのであり、そのような「弱さ愚かさを認め合い、共に生活を支える関係性」こそが「真の連帯」であるとしました。『仏教と教育』(日本評論社刊)身につけていくものです。それは誰かに教わるのではなく、仲間との関わりの中で育まれる「知恵」といえるでしょう。持田はさらに、より良いコミュニケーションを支える知識が「知恵」であり、子どもの頃にどれだけ濃密なコミュニケーションがあったかが、その子の育ちに大きく影響を与えると考えていました。知識は、それを身につけることによって人や物など環境との関係を深め、世界とより良くつながる力となるとき、初めて「知恵」となるのです。仏教に基づく生活に密着した生活科学こそが知恵の源になっている。これが、持田の「科学としての仏教」という考え方です。て、仏教と科学は共通していると彼は考えていました。「仏教における真理」は生活の中にあるもの、生活の中でつくり出されるものです。これを「科学における知」と置き換えることができるとするなら、仏教保育とは生活教育であると同時に、科学教育でもあるといえるでしょう。最後に、持田栄一が思い描い育ちそのものだといえるのです。そのような「ひろば」においてこそ、子どもが育ち、保育者も親も成熟していく。ということは、保育者も親も未熟でいいんです。無理しないで、これから少しずつ育っていけばいい。どんな人間にも必ず良い方向に変わろうとする力があるので、その力の表れ方を調整していけたら、育ちというものがより深く見えてくるのではないかという気がします。これまでの社会・文化とは異なるものが園に入ってくると、子どもたちはびっくりします。それは、その子たちにとって「ワケ分からん奴」とか「ヘンなモノ」だといっていいでしょう。しかし、そういうものとの距離感をつかみ、関わり方を知ること、つまりコミュニケーションを深めることで、優しく賢い子になっていくのだと思います。皆さんが、園を「ひろば」にするにはどうしたらいいだろうと考えていくと、今までと違った保育環境のつくり方を思いつくこともあるかもしれません。私の話は以上となります。ご清聴ありがとうございました。ていた保育の場、すなわち彼が目指していた園のあり方についてご紹介したいと思います。関係性が交錯する社会共同の場を、持田は「ひろば」と呼び、「人間を大切にするということは、人間が共同的・関係的存在であるということを自覚することから始まる」と説きました。人間は、人と共にある存在、関係の中に生きている存在です。持田は、人間の成長とそれに関わる保育を、「私的個人的なもの」として考えるのではなく、「関係性と共同性」の中で捉え直すことが必要だとしました。「ひろば」には、いろいろな物があっていろいろな人がいます。どういう人・物と、どういうつながり方をしてもいい。雑然とした場所で、「どうしたらもっとつながることができるか」を考える、つまり「つながり合う保育」を持田は目指しました。子どもがさまざまな人や物とつながり、そのつながりを深めていくことこそが、発達や育ちにつながる――持田はそう考えていました。この考え方は、現在「社会文化的アプローチ」と呼ばれている理論にも通じます。社会や文化は、人々が集まり、関わり合う中でつくり上げてきたものです。だからこそ、子どもが社会や文化とより深く関わっていくこと自体が、子どもの「ひろば」としての園を目指して科学としての仏教(3)第 734 号令和7年9月1日発行日本語でも、ドイツ語でも、とにかく議論が大好き。ドイツ・フランクフルトにて最晩年、インド訪問時。この頃はまだ、がんの症状は出ていなかった

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