202501
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(桑田)震度7の大きな揺れに見舞われた能登半島地震から1年が経ちます。復興に向けて歩み始めた9月には豪雨が襲い、今も約230人が避難所生活を余儀なくされています。この1年の苦難の大きさに心が痛みます。被災地の方々へ深く思いを寄せるとともに、この出来事を教訓に生き、無駄にしないことがこれからの私たちに必要だと思います。が進んだでしょうか。私の関わる自治体では、私立保育園と行政のより良い防災連携体制を模索し、議論が始まりました。保護者との連絡や子どもの安否確認などがいざという時に想定通りにできるのか、検討すべきことは無数にあります。「地震大国」と呼ばれる日本はこれまで多くの大規模災害を経験してきました。地震は津波、火災、液状化と多くの被害が複合的に起こり、復興の道のりもさまざまです。能登半島地震では三方を海に囲まれた地理的な制約が、発災直後の支援や復旧工事の遅れにつながりました。短期的、長期的に避難生活ができる備蓄があるか、交通網の復旧はどの程度進むのか、高齢化が進む中でサポートが必要な人、支えられる人のバランスはどうか。震災の度に新たな課題が顕在化し、起こりうる全ての可能性に備えることの難しさを感じます。「備えを充実する」と一括りにせず、課題を一つ一つ洗い出し、解消していくことが急務であるという自戒の念を、改めて持ちたいと思います。1/9 「仏カリ」「仏教保育」編集会議1/27 第33回理事会・第25回運営審議委員会年が明け、令和7年を迎えました。新年の団らんの最中、大規模災害時の各園の対応の在り方は、この1年で見直し事務局会議令和6年度第2回仏教保育研修会・新年懇親会「立春」は二十四節気のひとつで、寒さが峠を越え、春の兆しが感じられる頃を表します。立春は2月4日とされることが多いのですが、実は年により変わることがあります。令和3年には、124年ぶりに2月3日が立春となりました。翌年には2月4日に戻りましたが、令和7年は再び2月3日が立春となります。私たちは普段あまり意識しませんが、地球は太陽の周りを公転しています。地球が軌道上のどこにいるかによって季節は定まり、これを細分化したものが二十四節気です。1周を1太陽年として、この地球の運動は365日+6時間弱と、365日よりも少し長めになっています。この端数が4年でほぼ24時間になるので、4年おきに「閏年」を設定して1日増やすことで、だいたい元の状態になるよう調整されています。ところが、この調整では閏年になると約45分補正しすぎてしまうため、現在使用されているグレゴリオ暦では、400年に3回閏年を減らすというかたちで、これをさらに補正しています。このように、立春など、地球から見た太陽が特定の位置に来る瞬間は少しずつずれていき、前後の日付をまたぐことがあります。国立天文台がこれらを計算し、前年に発表しているそうです。令和7年は、豆まきや恵方巻きで知られる「節分」も、立春が2月3日になるのに合わせて、その前日の2月2日となります。節分は本来、「季節を分けること」を意味し、それぞれの季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことをいいます。しかし、旧暦では立春の頃が一年の始めとして最も重要視されていたので、いつしか節分といえば立春の前日を示すようになりました。春の気配を感じる「立春」令和7年2月1日発行     事務局日誌参考: 国立天文台「暦計算室 節分の日が動き出す」(https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/topics/html/topics2021_2.html) 国立天文台「暦計算室 秋分の日が動き出す」(https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/topics/html/topics2012_2.html)第727号(8)

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