も参加して総数約300名の多きに達し、歴史のある文部省主催の夏期保育講習会を凌ぐ盛大を極めた。そして太平洋戦争末期の昭和19年夏まで毎年欠かさず開催されて来た。以前、「日仏保の歩み⑩―戦前編『「1929(昭和4)年」という創立年の登場』―」(第がありましたが、関岡によると、1929(昭和4)年7月末に大塚隣保館で開催された最初の仏教保育夏期講習会において、仏教保育協会の創立発会式が行われたとしています。この前年の10月に、すでに催されていた発会式を講習会でも行っていたのは、初めて全国、あるいは東アジア規模と言っても過言ではない大きさでの行事として開催された仏教保育夏期講習会には、仏教保育協会に直接的に接することが初めての参加者が数多くいたことから、仏教保育協会が設立されたことを改めて広く宣言する意味合いとしての「発会式」が行われていたと考えられます。北は北海道、南は沖縄、さらには、現在の東アジア諸地域からも参加があって、その数がいることは、はじまりの仏教保育夏期講習会がいかに盛大で夏期講習会が開催されていた小石川隣保館(大塚隣保館)の時代の写真ではないと思われますが、名称が異なるだけで、建物自体は同じです。最初の仏教保育夏期講習会が開催された当時の大塚隣保館は、1階に事務室、相談室、集会室、社交室、講堂などがあって、先に関岡が言及していた講堂は1階だったことから、おそらく初日にここで発会式が行われたと考えられます。なお、2階には、教室、図書館、貸事務所、映写室など、3階には、室内体育室、講習会、宿泊室など、地下室には、食堂、理髪室、浴室、倉庫などが設けられていただだけでなく、屋上に遊歩場、500坪ある屋外運動場活況を呈していたのかを物語っています。会場となった大塚隣保館「第1回仏教保育夏期講習会」の会場として選ばれたのは大塚隣保館でした。翌年の「第2回仏教保育夏期講習会」も同じ場所で開催され、その後は、帝国教育会館(現在の日本教育会館)や伝通院などの各所で開催されましたが、同所での開催は、記録が残る中では少なくとも4回で、戦前において最多となっています。大塚隣保館は、1924(大正ら拠出された寄付金に基づいて、1927(昭和2)年から建設に着手して、1928(昭和3)年7月に竣工し、同年8月から事業が開始されたため、はじめての仏教保育夏期講習会は、完成して間もない新しい会場で開催されました。1930(昭和5)年4月には、大塚市民館と改称されたことから、厳密に言えば、「第1回仏教保育夏期講習会」は大塚隣保館にて、「第2回仏教保育夏期講習会」は大塚市民館にて開催されたことになります。(小石川区役所編輯兼発行『小石川区史』1935年)なお、大塚隣保館は、表立っては「小石川隣保館」のことではありますが、当時の一般的な多くの出版物をはじめ、会議や講習会といった会場名の表記として、「大塚隣保館」という通称が浸透していたようです。その後、大塚方面館に改称されるなど、仏教保育夏期講習会が大塚の地で行われたことに言及する際には、その開催時期によって、会場の呼称が異なることに注意が必要です。現在、この建物はありませんが、かつて立地していた場所は、東京メトロ丸ノ内線「新大塚駅」2番出口から、南東方向へ徒歩3分ほどのところで、東京都立大塚病院のすぐ南側、また大塚公園の北東側のすぐ隣にある都営アパートあたりです。戦前当時の大塚市民館の敷地は総坪数約1500坪、鉄筋コンクリート3階建(一部地下室)で、延坪785坪を有していました。隣保館そして市民館は、当時の社会情勢の影響によるさまざまな社会的課題を背景として、当該近隣地域で暮らす人々のニーズに応えるために、社会調査を行ったり、対策を実施する専門家による適切な援助や諸サービスを提供したりするなどして、地域住民の生活の改善や福祉の向上を図るための隣保事業を提供する拠点といえる施設のことです。次の写真は、表記や掲載書籍の出版年から、「大塚市民館」を写したもので、最初の仏教保育には、テニスコートや跳躍場、相撲場まで整備されていました(前掲書)。仏教保育夏期講習会が大塚隣保館を最初の会場とした背景には、立地のよさだけではなく、隣保事業の拠点として整えられた当時では最新の施設の環境を、全国からの受講者が、講習会に参加しながら実際に体感してほしいという協会の意図があったのではないでしょうか。さらに、1930(昭和5)年4月、小石川隣保館(大塚隣保館)は、大塚託児所と大塚児童相談所を併せて「大塚市民館」へと改称されましたが、同年開催の「第2回 仏教保育夏期講習会」も同じ会場だった理由には、当初の隣保事業に加えて、保育や子どもの健康相談といった事業が新たに行われるようになったことによる、前年からの相違や変化などに直に触れることができるというめぐり合わせがあったのかもしれません。仏教保育夏期講習会(現在の夏期仏教保育講習会)は、大塚の地で第一歩が踏み出され、間もなく100回を迎えんとする伝統的な恒例行事として、現在、そして未来へと、たゆまぬ歩みが続いてゆくのです。次回は、仏教保育夏期講習会の詳細について、記録が残る開催内容についてお話しします。「大塚市民館」(石原憲治『建築の東京』都市美術会 1935年 図譜より)(3)第726号300名にも達していたと記して13)年、一篤志家および大阪府か令和7年1月1日発行 682号)にて、一部を引用したこと
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