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津波から人々を守った「稲むらの火」津波防災の大切さを伝える物語として知られている『稲むらの火』。そのあらすじは、次のようなものです。大きな地震が起こり、高台に住む五兵衛は心配して村を見下ろします。海の潮が引き、砂原や岩底が現れているのを見て「津波が来る」と直感した五兵衛は、自分の畑に積んであった「稲むら」(稲わらを屋外に積み重ねたもの)に次々と松明で火を放ちます。火を消そうと高台に駆けつける村人たち。しばらくして、津波に襲われて村は跡形もなくなり、村人たちは命拾いしたことを知るのでした―。1854年、南海トラフ巨大地震の一つである安政南海地震が発生しました。この地震による津波が和歌山県を襲ったとき、濱口梧陵(儀兵衛)が稲むらに火をつけ、村人たちを安全な高台に誘導したといいます。この実話をベースにした小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の著作が、短編小説の『ALivingGod(生き神様)』。梧陵の生家の隣村に住む小学校教員・中井常蔵は、この話を子どもたちに伝えたいと考えて『稲むらの火』を書き、これが国語の教材として採用され、広く知られることとなりました。また、2011年度から使われている国語教科書には梧陵の伝記が掲載されています。梧陵は、私財を投じて被災者の生活再建を支え、堤防を建設して、村人の離散を防ぐとともに村を守り続けたということです。られました。さらに、2015年には国連総会で「世界津波の日」に制定されました。『稲むらの火』は多言語に翻訳され、津波防災の重要性を伝える優れた教材として世界各国で紹介されています。「納得と共感」であると話されていました。納得とは、他人の新たな総理大臣に石破茂氏が就任され、内閣のテーマは考えや行動を認め、理解し受け入れることであるし、共感とは、これまた他人の考えや主張、行動に、全くそうだと同感することであります。共感して納得するのか、納得して共感するのか、どちらもあると思いますが、いずれにしても、人の心は見えないので、納得も共感も、本来は人間の、とても内的で一人称的な心の動きなのではないでしょうか。「納得」「共感」は保育者と子ども、また人間同士の関係性においても、言葉や身振りのように、目に見えて、耳に聞こえるコミュニケーションではなく、形として表れ出ることのない、一人称同士の心の同感、通いあいがその場、その時に同事協力している状態こそが大切なのではないでしょうか。「納得しました」「共感しました」と普通に言葉にした時、どこか、見えない心を、少し無理に置き換えているように思うこともあります。「納得」も「共感」も大切な言葉でありますが、一人称の自我、自分の本音を覆い隠す都合の良い言葉として使われてしまうことも多いのではないでしょうか。保育者は一人称たる自分、一人称たる子どもとの対峙、葛藤、理解が日常です。納得や共感を引き出しあい、生み出しあう対話的な関係と具体的な働きかけが、いつも紡ぎだされる関係でありたいものです。       事務局会議(WEB会議)(五島)11月5日に起きたことにちなんで、2011年に定め11月5日は「津波防災の日」。安政南海地震が旧暦の第724号(8)事務局日誌1010//18 7 「第仏50カ回リ衆」「議仏院教議保員育選」挙編当集選会祈議願法要

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