保育の原点としての仏教保育を考える死が遠ざけられている仏教保育のこれまで 日本仏教教育学会第8回仏教教育学研究会基調講演「仏教保育のこれまでとこれから」3月30日、大正大学において日本仏教教育学会による第8回仏教教育学研究会が開催されました。同学会では仏教保育に関する発表や論文投稿が減少傾向にあることから、今回、仏教保育の意義や課題について再検討することにしたそうです。本号では「仏教保育のこれまでとこれから」と題して、育英短期大学名誉教授・佐藤達全先生がお話しされた基調講演の内容を紹介します。令和6年3月30日/大正大学私は保育者を養成する短大に1980年から勤務しましたが、その短大は、宗教的な背景がありませんでした。ですから、私が担当したのは幼児教育や保育に関する科目でした。たまたま1995年から日本仏教保育協会とのご縁ができ、月刊誌『仏教保育カリキュラム』や『ほとけの子』への執筆など、さまざまなかたちで関わらせていただいています。その3年後から17年間、鶴見大学短期大学部保育科で必修科目である「仏教保育」の授業も兼務することになったので、改めて仏教と保育の関わりを考えるようになりました。一昨年に退職して時間ができましたので、いろいろな機会に発表してきた仏教保育に関わる40本あまりの論文を一冊にまとめてみました。本のタイトルは『保育の原点としての仏教保育を考える―これからの日本人に不可欠な生命尊重の心を育てるために―』(上毛新聞社出版編集部刊)です。その理由は、これから仏教保育に期待されるものがとても大きいと考えたからです。現代は「いのち」があまりにも軽く考えられているのではないでしょうか。その意味で仏教系「自分のいのちも、自分以外のだけでなく、どの園でも「いのち」としっかり向き合って保育を展開していくことが求められ、その方向性を示す役割を担えるのが仏教保育ではないかと感じています。本日は、実践例とともに、そのような問題提起をさせていただきたいと思います。誰にとっても「いのち」が一つしかない尊いものであることは言うまでもありません。ですから、いのちも大切にする心」を育むことが教育やしつけの基本的目標とされてきたのは当然です。ところが、近年は残忍で理不尽な事件が多くなったように感じられてなりません。その背景には、日本人の「いのち」に対する意識の変化があるのではないでしょうか。日本女子大学の教授をなされていた中村博志医師は、「現代の子供たちのひき起こす多くの残忍な事件の背景には、『子供たちのまわりから死が遠ざけられている』ということがひとつの要因になっているのではないか」(リヨン社刊『死を通して生を考える』より)と述べています。中村医師が行ったアンケート調査では、「死んだ人は生き返らない」と答えた小学4〜6年生は3分の1だけで、「生き返る」や「わからない」という答えが3分の2を占めたそうです。写真家の土門拳さんが書いた『死ぬことと生きること』(築地書館刊)というエッセーのなかに、「死と生とは、すれすれに隣合っている」という言葉があります。土門さんは若い頃に、6歳の娘さんを水の事故で亡くしています。ある日、出かける時には元気に送り出してくれた娘さんが、帰宅したら顔に白い布をかけて寝かされていたそうです。こういう「いつ何が起こるか分からない」というつらい体験から出てきた言葉だったのでしょう。都市化や核家族化・夫婦共働き化が急速に進み、日常生活のなかで誕生や死に関わることから距離ができてしまった、というのが現在の日本ではないでしょうか。これに対して、仏教では「生と死」を対立的には捉えず、「諸行無常(生まれたいのちは必ず死ぬ)」という生命観に基づいています。日本の幼稚園や保育園は明治初期、いまから150年ほど前に始まったとされています。仏教保育については、江戸時代の寺子屋などの活動にまで遡れるでしょう。その起源を明確にすることは難しいのですが、寺院における保育活動が積極的に展開されるようになったのは大正時代以降、さらには第二次世界大戦後ではないかと思われます。戦後の荒廃した社会にあって、各宗の本山などの呼びかけに応じるかたちで、農地改革などの厳しい状況下で寺院を維持してきました。そして、慈悲の思想から乳幼児の心を慈しみ育てる目的で、保育活動が行われてきたようです。やがて出産や死が家庭から遠ざけられるようになった現代社会では、生と死という重大な場面を認識することが難しく (5)第721号講演者 佐藤 達全 先生(育英短期大学名誉教授)
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