「連絡統一を図る」とは第二章 第四条 本会は仏教保育事業の科学的研究、実際的指導及び事業関係者の連絡統一を計るを以て目的とす国の幼児教育の振興に寄与することを目的とする。」と規程されていそのうち仏教関係者の設立はかな目的及び事業一層助長発展せしめるため、先づの先覚者である堀信元氏等に依りこの法人は、幼児教育の内容に関する調査研究を行うとともに、仏教に基づく保育関係者を対象とし、その資質の向上を図り、もってわが園令発布より目覚しく発展した、りの数に上ってきた、これが連絡と統一とを計る目的で、昭和3年御大典を記念に仏教保育協会を設立」(機関誌『仏教保育』創刊仏教幼稚園と託児所の連絡、統一を図る機関の設立が要望せられるに至ったのである。この時、斯界て、各宗保育事業経営者の連合と団結を主張せられた」(『登々勢の界には一つや二つくらい内容の充実したこ・れ・だ・という仏教主義の保母養成機関が有って欲しい」(『仏 ① それからわずか半年後の1929(昭和4)年1月頃には、当時の東京府東京市本郷区駒込吉祥寺町(現在の東京都文京区本駒込)の吉祥寺の境内にあった栴檀幼稚園に移転していました。会則の冒頭に「(昭和6年1月改正)」とありましたが、少なくともこの頃には、事務所が当時の西巣鴨町の地に移転していたことがわかります。栴檀幼稚園と西巣鴨町とのおよそ2年の間にも、他の場所に事務所が設置された可能性は否定できませんが、栴檀幼稚園の事務所は、最長でも2年ほど設置されていたということになります。もしかしたら、1931(昭和6)年1月の改正は、西巣鴨町に事務所が変更されたことに伴うものだったのかもしれません。それでは、この東京市豊島区西巣鴨の本部の場所は、どこなのでしょうか。現在の西巣鴨という地名は、大正大学や都営三田線の西巣鴨駅が立地し、東京で残る唯一の都電で、「東京さくらトラム」の愛称で知られる都電荒川線の南は巣鴨新田から、北は西ヶ原四丁目までの停留場あたりの地域のことです。しかし、当時の「西巣鴨町」は、現在の同地域に加え、西は池袋、南は夏目漱石や永井荷風、竹久夢二などの墓があることで知られる雑司ヶ谷霊園近くの東池袋あたりまでをも含む広範な地域を指していました。そして、西巣鴨町2丁目は、当時の巣鴨刑務所で、その後、跡地に東京拘置所が造築され、太平洋戦争の敗戦後には、GHQに接収れ、現在においては、池袋のサンシャインシティが立地する場所の北東あたりで、またJR山手線の大塚駅や都電荒川線の大塚駅前停留場の西側あたりの地域にありました。当該の住所については、当時、機関誌の「編集兼発行人」だった安藤正純会長の邸宅か事務所だったと考えられ、この場所を協会の本部と位置づけていたのです。仏教保育協会会則の第2章には、協会の目的と事業内容が書かれていますが、目的については、次のように規程されています。まず、第4条の前半には、仏教保育事業の科学的研究、実際的指導を行うことが書かれています。日仏保の定款でも、同様の見出しである「第2章 業」の中で、「(目的)第3条 されて「スガモプリズン」と呼ばます。文末の「わが国の幼児教育のは、基本的には、会則の前半と同様の内容であるといえます。れない特徴です。号・第2号)と述べ、幼稚園令によって増加した各仏教園との連絡れたとしています。で、「この喜ぶべき趨勢と現状を、目的および事振興に寄与する」という文言以外その一方で、会則の後半の「事業関係者の連絡統一を計る」という箇所は、日仏保の定款には見らこのことについて、会長の安藤正純は「保育事業は大正15年幼稚と統一を図る目的で協会が設立さまた、副会長の富田斅純も、幼稚園令による発展を指摘した上営み』)として、まず、仏教系の幼稚園と託児所の連絡統一を図る機関の設立が所望され、さらに、堀緑羊によって各宗派も意識した連合と団結が主張されたことにも言及しています。ところで、連絡統一を「はかる」という言葉の表記は、安藤会長のような「計る」だけでなく、富田副会長のように「図る」を用いる場合もあります。会則では「計る」となっていますが、日仏保の定款では、目的の条項として、「図る」という文言を用いています。創設当時ですから、連絡統一を「期する」という期待を込めて、「計る」の字を用いたのかもしれません。つまり、連絡統一を「計る」と表記していたのは、これが仏教保育協会の目的であると同時に、協会を創設するに至った背景でもあるため、その部分が強調された可能性も否定はできません。しかしながら、「将来を計る」や「タイミングを計る」など、考えたり予測したり機会を伺ったりする意味合いにおいてではなく、協会の目的ということにおいては、物事を計画したり企てたり対処したりするなどの意味合いとしての「図る」を用いる方が穏当だと考えられるため、基本的には、「連絡統一を図る」と表記することにします。話を戻しますが、「連絡統一を図る」ということが会則に規程された背景として、堀緑羊の存在も忘れてはなりません。それは、堀が「少なくとも仏教教幼稚園経営法』)などと仏教主義の保母養成機関や保母の存在を重視する必要性を痛感していたことがあります。これを実現するためには、個人の力では限界があるため、保育界等をはじめ仏教界を挙げて一致団結すべく、通仏教組織である仏教保育協会を創設することで、関係者との連絡統一を目指したのです。つまり、仏教保育協会の目的とする「連絡統一を図る」とは、保母の存在を重視した堀緑羊が、通仏教主義の保母養成所設立へ向けて仏教界が一致団結し、②幼稚園や保育所(託児所)の垣根を超えて、③通仏教組織として宗派を超えて一体化し、④既存の仏教保育事業関係者だけでなく、これから仏教保育事業を始めようと志す関係者も支援し、⑤地域を超えて全国的につながることの主として5つのことを指していたと考えられます。次回は、「仏教保育協会会則」の残りを掲載しながら、協会の事業を中心にお話しする予定です。令和5年2月1日発行第703号(4)
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