淑徳大学アジア国際社会福祉研究所リサーチ・フェロー/曹洞宗常仙寺副住職係者を以て組織す第三条 本会は本部を東京市豊島区西巣鴨町2丁目1、834番地まず、会則の最初である第1条には、協会の正式な名称が「仏教保育協会」であると書かれています。現在の日仏保の定款では、協会の名称について、「この法人は、公益社団法人日本仏教保育協会と称する。」様に、定款の冒頭に明記されています。日本仏教保育協会は、「日に仏保」などとルビを振る必要もないほど略称が定着していますが、この通称は、戦後に協会の活動が本格化した頃から存在しています。しかし、戦前においては、今日のような略称はなく、また協会名に「日本」を冠しないなど、現在とは異なっていたのです。次に、会則の第2条には、協会の成員について書かれています。個々の成員の呼称としては、日仏保では「社員」ですが、仏教保育協会では「会員」です。会則のはじめに仏教保育協会の目的については、「仏教保育協会会則」に明記されています。会則は全部で7章あって、協会の目的に関しては、「第2章 的及び事業」に規程されています。この中には、協会の事業についても書かれていますが、今回は、目的のみで、事業に関しましては、残りの会則と併せて、次回に改めてまとめることにします。そのため、今回は、会則冒頭の「第1章 名称及び組織」と「第2章 目的及び事業」の「目的」についてお話しします。「仏教保育協会」の名称と組織仏教保育協会の名称や組織につちぶっぽ名称及び組織」には、東清寺」であるいて見る前に、今回該当する箇所について、現状で確認できる最初の会則を掲載しておきます。会則の冒頭には、「(昭和6年1月改正)」とあることから、会則自体は、1931(昭和6)年1月以前に定められていたことや、改正された時期から2年間は、変更されていないことがわかります。原文は旧字体の漢字とカタカナが混在した文語体で書かれているため、旧字体は新字体に、カタカナはひらがなに変更するなどして転記しておきます。第一章 第一条 本会は仏教保育協会と称す第二条 本会は保育事業に関する智識並に経験を有する者及び将来仏教保育事業界へ進出せんと志す仏教関(第1条)とあり、戦前の会則と同名称及び組織ていたのです。ただし、「仏教」関係者とありますが、これが、どの程度の広がりを持たせた範囲として想定していたのか、さらには、例えば協会の目的に賛同するような一般の「保育」関係者や個々人も対象としていたのか、などは明確ではありません。それでも、仏教保育にまだ関係していない個人をも会員として迎えていたことは、現在の日仏保には見られない特徴の一つです。西巣鴨町にある協会本部とは「第1章 協会の本部についても規程されています。第3条には、「東京市豊島区西巣鴨町2丁目1、834番地」を協会の本部とすることが明記されています。日仏保の定款では、「この法人は、主たる事務所を東京都港区におく。」(第2条)とあって、港区芝公園にある明照会館内の事務所が本部といえますが、会則のように詳細な住所までは規程されていません。協会の事務所といえる本部については、1928(昭和3)年7月に、当時の東京府南葛飾郡寺島町玉ノ井(現在の東京都墨田区3丁目)にあった布教所で、現在の「曹洞宗神向山 「玉井閣」に設置されたのが最初でした。条項の中では、まず協会の成員である会員について、保育事業に関する専門家やこれに従事した経験を有する者を対象としています。なお、「智識」という表記に関しては、改定された常用漢字や当用漢字以前の戦前の時期であるため、そのまま転載しています。さらには、保育事業に関してある程度以上の深い理解を求めているといった意味合いを込めているのか、あるいは、仏教的な視点も含意した上での表れなのか、が明確ではないことから、これを「知識」と純粋に置き換えられるのかも判然としていません。さて、後半の「将来仏教保育事業界へ進出せんと志す仏教関係者を以て組織す」という規程は、日仏保の定款における「この法人の目的に賛同する仏教に基づく幼稚園、保育所および幼稚園教諭・保育士養成機関の設置者たる法人その他この法人の目的に賛同する者」(第5条第1項)という正社員に関する内容とは明らかに異なるものです。現在は、仏教園という個々の施設単位であったり、仏教系保育者養成機関であったりしているなど、すでに何らかの形で仏教保育事業に関わっていることが基本となっています。しかし、戦前の会員に関しては、仏教保育事業にまだ関わっておらず、将来的に事業を始めたいと志向する仏教関係者も対象とし佐藤成道目 《日仏保の歩み⑲》―戦前編「仏教保育協会の目的」―(3)第703号令和5年2月1日発行「仏教保育協会会則」(機関誌『仏教保育』第2号 1933年1月1日発行より)
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