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を確認できます。両名とも、真宗大谷派選出ですから、主事や委員に関しては、宗派選出という形がありながらも、基本的には、理事会において、適材適所の人事として、推挙により決定されていたと考えられます。また、寺田義雄委員に関してですが、「協会通信」が掲載された機関誌(第4号)よりも3ヶ月前に発行された機関誌(第3号)に所載の「協会役員」一覧の委員の欄において、名前の記載がないにもかかわらず、引用文には「寺田義雄委員の辞任」とあるなど、事情は定かではありませんが、短期間で就任と辞任が行われていたという事例もあったようです。これは、特別な場合を除いて、ほとんど変動がない顧問や会長、副会長と比べても、理事や委員の異動は、比較的流動的だったといえます。ところで、理事を辞する理由としては、山田顕達のように他の仏教園や別地域へ転任したり、国東秀雄のように仏教園を辞したり、他にも個々の都合によるものであったりしていました。また、各宗派の宗務所といった機関に所属していた理事は、仏教保育に関係する部署や所属機関から異動したり辞職したりする際に、理事を辞任する場合もありました。さらに、笠原秀定がそうであったように、委員から理事に役職が変動するなど、理事には様々な人事の動静がありました。このように、各宗派からの選出であることが判明するのは、実際に理事がその職を辞した際などの役員異動が公表されていたからです。そのため、異動について記載のない場合には、宗務所といった機関に属している理事や、例えば、真言宗豊山派が一名の理事である和田辨瑞などは、宗派選出の可能性が高いといえますが、稲葉文海や堀緑羊などは、それぞれ日蓮宗選出なのか、曹洞宗選出なのか、といったことは明らかではありません。いずれにしましても、理事の全員が各宗派による選出だったのか、もしそうでなければ、各宗派の枠は、宗派選出ではない理事の宗派を考慮して設けられていたのかなど、理事と各宗派との関係性をめぐっては、まだ解明できていないことがあるのも事実です。それでも、宗派ごとに一定の枠を設けた中で各宗派から理事が選出されるのは、それなりの理由があったはずです。このような仕組みにこそ、理事が担っていたある重要な役割の本質が隠されていたと考えられるからです。次回は、「仏教保育協会と各宗派との関係性」という一連の話題の締めくくりとして、理事と各宗派との知られざる関係性についてお話しします。藤井実応(浄土宗)浄土宗務所社会課網野宥俊(天台宗)浅草寺幼稚園主事阿部龍伝(真言宗智山派)智山派宗務所○主事関岡賢一(曹洞宗)栴檀幼稚園主事○委員青柳義智代感応幼稚園主事笠原秀定(浄土宗)南千住幼稚園主事柘植慈想(浄土真宗本願寺派)本派本願寺社会部猊倉存明(日蓮宗)日蓮宗務院社会課仏教保育協会は、通仏教体制の組織として、当時は全8宗派で構成されていました。理事だけを見ても、協会に関わるすべての宗派の関係者が顔を揃え、主事や委員も含め、これらの役職は、仏教保育実践者や僧侶が担っていました。宗派間で1~3名と幅がありますが、各宗派との関係性において、顧問と同様に、基本的にはバランスのとれた人選になっていたといえます。そして、当時の理事は全15名ですが、協会創設前の「創立委員」のうち、堀緑羊を含めれば、5名が理事に就任していました。さらに、その後、同委員だった狩野獲麟が国東秀雄の後任となるなど、「創立委員」の多くが、理事に就任していたのです。なお、稲葉文海は、これまでも登場していた稲葉茂の異名であり、青柳義智代は、僧侶というわけではありませんので、宗派は略してあります。理事における各宗派との関係性それぞれの理事の肩書きを見てみますと、仏教園の園長や主事といった実際的に仏教保育事業に従事している理事は半分を下回っているのですが、残りの半数ほどが、各宗派の宗務所といった組織に属していることがわかります。このことについて、富田斅純は「真宗両派、浄土、新義真言両派、曹洞、日蓮、天台の各派より代表者が協会理事となり、仏教各宗共同事業として、組織を確立」(『登々勢の営み』)と述べています。つまり、宗務所に所属するような各宗派の代表者が理事となっていることは、全8宗派で仏教保育協会を運営しているという組織体制を象徴しているのです。その仕組みを窺い知れる一例として、機関誌の「協会通信」に次のような記述があります。浄土宗選出山田顕達理事は静岡勢至学園に転任、同じく藤井実応理事は浄土宗務所教学部に転任、又、大谷派本願寺選出出雲路宏理事は北海道函館本願寺別院輪番に転任。寺田義雄委員の辞任、等のため左の如く新役員の選出就任(機関誌『仏教保育』第4号、圏を見た。浄土宗選出理事笠原秀定氏島野禎祥氏大谷派本願寺選出理事下川直秀氏委員伊東修己氏笠原新理事は従来同宗選出委員であられた関係上同宗の委員は欠員となった。なお本派本願寺派選出国東秀雄理事は江東学園長辞任と同時に都合により本会理事も辞任せられた。後任については近々同派より選出せらるるはずである。3点筆者。一部、句点付与)これは、役員の異動などを知らせる通信内容です。圏点をつけた箇所を見ると、「浄土宗選出」「大谷派本願寺選出」「本派本願寺派選出」などとあり、さらに「後任については近々同派より選出せらるるはず」とあるように、理事や委員は各宗派によって選出され、宗派ごとに一定の枠が設けられていたと考えられます。しかしながら、委員に関しては、人員が全宗派数よりも少ないため、宗派間のバランスを意識した人選ではなく、宗派ごとに決まった枠があったわけでもないようです。例えば、1934(昭和9)年初頭の機関誌に所載の役員一覧で、委員5名の中に、引用で記載があった下川直秀と伊東修己の名前3333333333333333333333333333333333333同333333333                  (5)第700号令和4年11月1日発行

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