真言宗豊山派 炎天寺 住職 俳人真言宗豊山派 布教研究所 指導教授𠮷野秀彦先生想像すること思いを馳せることできます。仏教を知識として理解や説明できなくても、〝仏になる〟ということを日本人は漠然と理解しているのです。〝わたくしのいのち〟は誰にもあります。では、その〝いのち=生命=命〟をどのように生きるのか? な疑問に答えるのが仏教の教えです」そして〝教育〟には〝いのち〟をどのように生きていくのか、その方法や技術が含まれていて、保育もそうした仏教や教育の延長線上にある。だからこそ、保育者も「いかに生きるか」ということを掘り下げて考えることが大切だと、次のような例を挙げられました。「〝安心〟という言葉はもともとは仏教の用語です。たとえばコロナ禍では、保育の中でもいろいろな対策をとらないといけない。保その素朴育者は命を預かっているわけですから、環境を整え、準備をし、子どもを受け入れる。これも仏教保育なのです。何か特別なことをするのではありません。1つひとつの課題に対し、仏教精神を持って考え、しっかりと反映させる。それが仏教保育の現場の考え方です」さらにインドの菩提樹学園を例に挙げ、生活習慣の違いによる衛生問題、経済的困窮からの栄養不足、そうした子どもたちの課題を紹介されました。「日本と比べ、その文化の違い、生活や在り方を否定するのではなく、違いを受け入れて、その環境の中でどうやって子どもたちの〝命〟をつないでいくのかを考えることが大事なのです。何か1つの枠に〝こうあるべきだ〟と押しつけるのではなく、それぞれが持っている命をしっかりとつなげていってあげる。それが私たちがしている生命尊重の保育です。子どもたちの瞬間瞬間を輝かせてあげる。そのことがやがてサスティナブルな社会につながります。人間の命そのものが連続性を持ち、そうしたものが命を支えるのだと仏教保育を通じて伝えていただきたい」保育者がそうした意識を強く持つ事で、〝いのち〟という言葉を使わなくても子どもたちに伝えられるのが仏教保育の在り方だとし、受講者に次のようなエールを贈りました。「仏教的なものの考え方を生かし、誰もが生きやすい、誰も苦しむことのない、そして自分が自分らしく生きていけるような、そういう保育を目標にしてください」俳人としても活躍されている𠮷野秀彦先生は、具体的な事例を挙げて受講者自らに考えてもらうよう、スライド写真も活用したお話しをされました。最初に紹介されたのは、友人の家族に関する相談事例です。「友人が、息子のことで相談があると訪ねて来ました。会社の出張先で大失敗をして、その責任感からボロボロになり失意の中にいる。心身も心配で、よい心療内科を紹介してくれないか。そうした内容のかなり深刻な相談でした」息子さんは、多くの人に迷惑をかけたこと、会社の期待に応えられなかったこと、取り返しのつかないミスへの苦悩から、出社がつらくなり、会社でもさらに心労が重なり、日に日に精細さを失い、これには専門家の助けが必要だと父親は𠮷野先生のもとを訪ねました。先生は心療内科を紹介し、後日、父親に付き添われた息子さんはその病院へと向かいます。しかし、直前に足が止まり受診を拒みはじめたそうです。今日は諦めようと父親が思ったとき、今度は息子さん自身が受診を決意します。「本人が言うには、つらい心をなくしたい。ゆっくり眠りたい。しっかり判断できるようになりたい。その覚悟を決めてきたのに、ここで帰ってしまったら何も変わらない。だから、ちゃんと診察を受けたい。そして、しっかりと問診票を自ら書いた息子さんを看護師も医師も『よく来てくれましたね』とねぎらったそうです。そのことを友人はうれしそうに話しました」このエピソードの解説は講演の最後に次のように話されました。「息子さんが立ち直れた理由の1つに、彼が幼稚園や小学校でよくほめられていたことがあると私は想像しました。何かが上手くできたからではなく、『声がよく通るね』とか本人にも意外な点をほめられてきたそうです。それが自信となり、自己肯定を養っていたので、困難なときでも自分でも何とかしようという気持ちになれた髙山理事長による第一講義𠮷野先生による第二講義(5)第698号令和4年9月1日発行
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