ESDの学びのポイント幼児教育とESD仏教教育とESD大きな親和性○批判的な思考能力「批判」という日本語だと「やってはダメ」の意味で受け止められがちですが、英語の「ポリティカルシンキング」の意味では、物事をしっかりと見て、本当にそれでいいのだろうかと建設的に考えていく力のことです。言われたまま、暗記のみの学びではなくて、1つ1つのことを「本当にそうなのかな」「それで正しいのかな」と問い直して行ける思考を育みましょう。○実践力頭で考える力だけでなく、それを踏まえて実行に移すことができるような実行力や行動力といったものが必要です。この3つはESDのエッセンスと言えるものです。学習指導要領では「育成すべき資質・能力の三つの柱」として示されています。ESDでは、発達段階に応じた段階的な学びを考えていくことが重要です。ある1つの段階だけですべてを学ぶというわけではありません。園、小中学校、高校、大学でだんだんと学びが深まっていく。あるいは学びの質が変わっていく。もう1つ大切なことは、教育は1つの世界の中だけで完結するものでないということ。園や学校だけでなく、自治体あるいは社「自分たちは社会に貢献できる」会教育に関連する機関との連携によって学びが深まっていく地域連携や社会ネットワークも必要です。20回程度の自然体験を行いました。園児から小学校低学年ぐらいまでの幼児期は、人格形成をする上でとても重要な時期です。どういう体験をするかによって、その後の人生がとても大きく変わってきます。世界では、そうした観点からESDにおける幼児教育はとても重要だと強調されています。日本の学校教育でESDの推進拠点となっているのがユネスコスクールです。2005年頃には全国に20校ほどでしたが、文科省の推進もあり、現在では1120校に達しています。しかし、その中で保育園・幼稚園は約50校とまだ2%ほどです。これまで日本の公共教育におけるESDでは、幼児教育が重視されてきませんでしたが、見直して行く気運が生まれてきています。幼児期であっても、体験から自分たちは「社会の中で生きている」という、自己肯定感や自己効力感を身につけていくことがとても重要だと、近年、私たちも再認識しています。私が10年程勤めた金沢大学で行った園児を対象にした里山教育をご紹介します。キャンパス内にあ児たちを連れて行き、年間10回〜園児たちの体験は、田植え稲刈り、崖のぼりなどさまざまですが、「思いやりの心」です。また「人どれもとても楽しそうでした。中でも驚いたのは、崖のぼりというのは、大人でも汗をかいてとても大変なのですが、園児は汗をかき、泣きそうになりながらもだれひとり欠落することもなく、全員が崖を登りきることができました。自然の中でそうした経験をするということが、子どもたちにはとても大きな達成感となったようです。金沢大学には里山という恵まれた環境がありました。「では、都会の児童教育ではどうすればいいのか?」という質問をされます。たしかに都市や住宅街では、大きな自然というものはそうそうあるものではないかもしれません。しかし、身近な自然はどこにでもあります。東京には児童公園がたくさんあり、木々や花が植えられています。全国の園や小学校の多くには、桜の木が植えられています。そうした小さな自然を観察し、どのように変化をしていくのかを体験するだけでも、色々なことを学び取ることができるのです。大きな自然の中に身をおくことだけが自然体験ではありません。身近な自然にまず気づくこと、観察すること、その体験の中からでもいろいろなことが学べます。る74ヘクタールの里山ゾーンに園ESDが重視する重要な概念は間が自然を支配する」という考え方ではなく、自然の恵みを受けていると感じ、自然や他の生き物と共存すると考えます。思いやりがあってこそ、私たちの持っている文化だけでなく、自然や資源といったものを次の社会、次の世代へつないでいけるという考え方です。そうしたESDの基本的な理念は、仏教の教えというものと相通ずるものがあるのではないでしょうか。そもそも仏教は、持続可能性という事柄に深く関わっていると思うのです。今日の話を踏まえてみると、みなさんが今まで学び実践されてきたことに共通点を再認識してもらえるのではないでしょうか。SDGsやESDは、何か新しいこと、これまでと違ったことを言い始めているわけではないのです。むしろみなさんが何百年も、仏教の世界の中で実践されてきたことが、あらためて見直されているとお考えいただいていい。現実に、多くの仏教団体がESDを実践し、支援する活動を行っています。この機会に、みなさんと私たちESDに関わる人間のつながりが、より一層深まることに期待しています。EDSはすべてのSDGsの達成に人づくりの観点から貢献します(3)第698号令和4年9月1日発行
元のページ ../index.html#3