教保育の話。これを保育の目的において解すれば、幼児のための仏教教育である。その意義もまた、素より深い。仏教保育の話。これを保育の真諦において解すれば、保育者のための仏教である。その意義、蓋しさらに深い。いかに保育して幼児に仏教を与えんか。」今日の幼児保育界に、目的と学理と方法以外、真の保育真諦を索めてやまざるもの。「仏教保育」の創刊を心より祝し、心より期待するゆえん、また実にここにあるのである。願わくは、我が国保育界全体のための存在として、その大いなる発展を見んことを。」(同前)顧問における各宗派との関係性仏教保育協会の役員として名をつらねていることがわかります。顧問は、会長が推薦する有識者や専門家など若干名で構成され、仏教保育事業や協会運営における課題に対して助言を行う諮問機関の役割を担っていました。その顔ぶれを見ていきますと、まず、西山政猪、芝田徹心、下村寿一は、いずれも当時の文部省の官僚で、西山と下村は、宗教局長を務めていました。また、芝田は、宗教学者でもあり、文部省の図書局長を務めただけでなく、官立の東京美術学校長なども歴任しました。なお、同校は、戦後に官立の東京音楽学校と統合して、1949(昭和24)年に東京芸術大学が設立されました。次に、童話作家として知られる巌谷小波は、明治・大正期を代表する児童文学者で、『日本昔噺』や『日本お伽噺』など多数の作品を残し、物語などを子どもに語り聞かせる口演童話の普及にも努めました。また、幼児教育者である岸辺福雄は、口演童話の実践家としても知られ、巌谷小波、久留島武彦とならんで口演童話の「三羽がらす」とも称されます。次に、作曲家として知られる弘田龍太郎は、多くの童謡や歌曲、仏教音楽を手掛け、幼児教育に音楽を取り入れながら、リズム遊びの指導にもあたっていました。そして、仏教学者として知られる高楠順次郎は、仏教系保育者養成機関である武蔵野大学の前身であります武蔵野女子学院を設立し、女子教育に力を入れていました。他にも、東洋大学学長などを歴任し、『大正新脩大蔵経』を渡邊海旭とともに中心となって編纂するなど、多数の編著を残しています。また、児童心理学者として知られる高島平三郎は、教育者であり体育学者でもあって、高楠順次郎と同様に、東洋大学学長などを務めていました。次に、富士川游と瀬川昌世は、ともに医師で、富士川は医史学者でもあり、帝国学士院恩賜賞を受賞した『日本医学史』を含め、仏教に関する内容がある著書も多く残しています。また、瀬川は、小児科の医師として知られていますが、内務省衛生局の保健衛生調査会の委員を務め、『乳児の育て方』などを上梓していました。そして、児童心理学者で「日本のフレーベル」とも称される倉橋惣三は、東京女子高等師範学校附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)で主事を務め、「誘導保育」を提唱しただけでなく、『幼稚園雑草』や『育ての心』など多くの著書を残し、戦後には、日本保育学会を創設して、初代会長に就任するなどしていました。ここまで、およそ半数の顧問を見てきましたが、国の行政機関の要人をはじめ、仏教、保育、教育、(機関誌『仏教保育』創刊号)と心理、童話、童謡、医療など幅広い分野から有識者や専門家が集結していたことがわかります。ところで、機関誌『仏教保育』創刊号において、冒頭で会長の安藤正純が、続けて副会長の富田斅純が記事を掲載していますが、もう一人の副会長である関寛之の前に、当時、東京女子高等師範学校の教授である倉橋惣三が「仏教保育の創刊を祝す」と題した記事を掲載しています。旧字体は新字体に変更するなどしますが、この祝辞において、「仏述べていますように、仏教保育が幼児のための仏教教育であり、保育者のための仏教であることを表した上で、幼児に対する仏教の必要性やそれを教化するための保育の方法について問いかけています。さらに、結びでは、「われら、と締め括って祝意を示しています。仏教保育協会には、倉橋惣三をはじめ、その分野を代表するような先人たちが協会の一翼を担っていた事実は、「仏教保育」に対する各方面からの期待の高さを象徴しているといえるのです。仏教保育協会の役員である顧問のうち、残るおよそ半数が僧侶ですが、こちらも錚々たる顔ぶれであることがわかります。各師の宗派について、「協会役員」一覧の掲載順に名前と宗派を見ていきますと、次のようになります。市橋覚俊(真言宗豊山派)大森亮順(天台宗)渡邊海旭(浄土宗)高見慈悦(日蓮宗)上野舜頴(曹洞宗)後藤環爾(浄土真宗本願寺派)阿部恵水(真宗大谷派)栗山泰音(曹洞宗)境野黄洋(真宗大谷派)平幡照法(真言宗智山派)仏教保育協会は、通仏教体制の組織として、当時は全8宗派で構成されていましたが、顧問だけを見ても、協会に関わるすべての宗派の関係者が顔を揃えていました。一部、2名という宗派もありますが、各宗派との関係性において、基本的には全8宗派からバランスのとれた人選になっていた、といえます。そして、市橋覚俊は真言宗豊山派管長、大森亮順は天台宗宗務総長、高見慈悦は日蓮宗宗務総監、上野舜頴は曹洞宗大本山永平寺監院、後藤環爾は浄土真宗本願寺派本山執行長、阿部恵水は真宗大谷派宗務総長、栗山泰音は曹洞宗大本山總持寺貫首、平幡照法は真言宗智山派宗務長、を務めるなど、各宗派における本山の住職や実務トップといった重要な役職につくような関係者が、仏教保育協会の顧問として名をつらねていたのです。さらに、渡邊海旭は、日本の社会事業の先駆的な指導者である長谷川良信の恩師で、日本仏教学会の前身である日本仏教学協会を設立したり、新仏教徒同志会の前身である仏教清徒同志会を組織して機関誌『新仏教』を創刊したりしました。また、渡邊とともに仏教清徒同志会を結成した会員の一人が境野黄洋で、東洋大学の学長や駒澤大学の教授を務めるなど、仏教保育協会の顧問には、仏教界の第一線で幅広く活躍していた多くの先人たちが、携わっていたのです。次回は、「協会役員」の一覧で残った会長や副会長、理事などの顔ぶれをご紹介します。(7)第695号令和4年6月1日発行
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