3333333333仏教保育協会「創立委員」の存在昭和3年の御大典記念事業として、帝都に、仏教保育協会が創設されたのであるが、その主唱者は堀綠羊で、当時の創立委員は、和田辨瑞、山田顯■、粟津勸緣、狩野獲麟、岩本勝俊、稻葉茂、土橋觀英、牛場眞玄、⾭木榮俊諸氏で、・・・なものでした。そのため、同年保育の事業であると見なすには無理があるのです。それでは、同年7月に仏教保育協会の「創立」とまで表明し、事務所を開設した理由をどのように考えればよいのでしょうか。これに関して、当時の協会関係者が具体的に言及していたわけではありませんが、これを見出す手掛かりが、仏教保育協会の立ち上げに携わっていた関係者の存在にあるのです。1928(昭和3)年10月の発会式の頃には、会長や副会長など主要な役員は決まっていたようですが、それ以前の協会関係者についてはあまり知られていません。当時の関係者については、堀緑羊が次のように述べています。(『理想の仏教保育』)文章の最初には、1928(昭和3)年に、仏教保育協会真①で、正門の前で子どもたちが帝都、つまり大日本帝国時代の首都である東京で創設され、主唱者は堀緑羊であることが書かれています。そして、文章の最後に「諸氏」という複数の人に対する敬称が付されていますが、仏教保育協会が創立される以前には、創立委員が存在していて、その人数が9名であったことがわかります。なお、通常の引用に際しては、旧字体を新字体に変更するなどしていますが、今回は、旧字体で書かれた人名が複数名含まれていることから、正確を期するため、名前の漢字表記に関しては簡略化せずに書籍に書かれたまま記してあります。堀緑羊が創立委員として名を連ねていたかどうかは定かではありませんが、その顔ぶれを見ると、稲葉茂や岩本勝俊など、これまでの「日仏保の歩み」で、すでに登場した関係者も含まれています。また、協会が行った最初の仏教保育の事業である研究会が音羽幼稚園で行われていましたが、これも創立委員の一人で、音羽幼稚園の関係者である和田辨瑞によるところが大きいといえます。ちなみに、冒頭に掲載した写を出迎えているのが、和田辨瑞だと思われます。そして、引用した文章からは、創立委員が、御大典記念事業として行われた発会式に向けて準備を進めていたことが窺われます。実際に、発会式について東大仏青会館で話し合いを行いながら、手はずを整えていたのです。また、発会式が東大仏青会館で行われた背景には稲葉茂が、協会の最初の事業が音羽幼稚園で行われた背景には和田辨瑞が関係していたことから、創立委員の存在が、仏教保育協会の正式な創立へ向けた準備だけでなく、初期の協会運営にも影響を与えていたことがわかります。ところで、各委員の宗派について、引用文の順に名前を見ていきますと・・・和田辨瑞 (真言宗豊山派)山田顕達 (浄土宗)粟津勧縁 (真宗大谷派)狩野獲麟(浄土真宗本願寺派)岩本勝俊 (曹洞宗)稲葉茂 (日蓮宗)牛場眞玄 (天台宗)青木栄俊 (真言宗智山派)なお、土橋観英に関しましては、宗派を特定できなかったため記しておりません。堀緑羊は、通仏教体制の組織の創設を目指して各宗派の宗務所を丹念に訪問し、全8宗派(浄土宗・浄土真宗本願寺派・真宗大谷派・真言宗智山派・真言宗豊山派・曹洞宗・天台宗・日蓮宗)もの協力を得て仏教保育協会を創立させた立役者です。この8宗派と各委員の宗派とを見比べてみますと、8宗派すべての関係者が委員になっているのです。つまり、当時の仏教保育協会に関わるすべての宗派の関係者が、創立委員として顔を■えていたのです。しかも、各宗派から1人ずつと偏りがないことから、全8宗派のバランスを意識した人選だったことがわかります。この創立委員がいつ組織されたのかは定かではありませんが、1928(昭和3)年7月の事務所開設の頃か、遅くとも東大仏青会館で御大典記念事業についての懇談会が行われた翌8月れて、準備が進められていたといえます。そのため、同年7月に仏教保育協会が創立したと言明することは難しいのが実情です。仏教保育協会の創立委員に関しましては、現在でいえば、学校法人や社会福祉法人に限らず、さまざまな組織や団体で正式な創立以前に設置される「設立準備委員会」のような位置づけだったと考えられます。そして、1928(昭和3)年の7月と10月で、協会創立の公表が重複していた背景につきた3」と表現した方が適当ではなましては、本年の3月号(第680号)で、1928(昭和3)年という年時に仏教保育協会が誕生したのは、「御大典」の盛儀という時機に合わせて時流に乗った記念事業として、本来的にまだ準備期間が必要だったところを早期に創立させたかったのではないか、とお話ししたことに関係しているかもしれません。仏教保育協会を万全の体制で創立させたのであれば、7月の創立表明と同時に仏教保育の事業が開始されて、積極的に活動が展開されていたはずです。裏を返せば、御大典という盛儀の勢いを借りなければ、協会を創立させることが実際的には難しい状況だったともいえます。厳密に言えば、仏教保育協会は「御大典記念事業として創立」というよりも、「御大典記念事業として創立させる必要があっいか、と考えられるのです。そのような事情を探る手掛かりとなりそうなのが、3月号(第680号)で引用した青柳義智代の資金難に関する言葉です。次回は、正式に創立した仏教保育協会の役員を紹介しながら、青柳の文言を引き合いに、協会の創立と各宗派との関係性を紐解きます。(5)第688号令和3年11月1日発行29日(水)頃には委員が選出さ10月に行われた発会式は、仏教
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