202110
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はじめに仏教保育協会の創立は「1928(昭和3)年」保育協会の事業開始都下保育事業関係者を網羅して去年十月生れた仏教保育協会は事務所を本郷吉祥寺栴檀幼稚園に置き教材の選択供給、保母、講師の紹介、経営相談等を開始することとなったが今二十九日午後二時から護国寺音羽幼稚園で第一回の研究会を開き副会長関寛之氏講師として幼児保育について研究を試み今後毎月継続開会する事となった会の事業開始」とある下保育事業関係者を網羅して去年十月生れた仏教保育協会」とある協会事務所の移転前回の7月号(第684号)まで、仏教保育協会の創立時期をめぐって、「1928(昭和3)年」と「1929(昭和4)年」という2つの創立年が併存していること、昭和時代には両者の混在が顕著だったこと、これが平成時代に入ると「1929(昭和4)年」という年時が定着していくことなどについて、3回にわたってお話をしてきました。それでも、出版物の中には、「1928(昭和3)年」でも「1929(昭和4)年」でもない年時を仏教保育協会の創立年として明記している事例も見受けられます。このような現状は、仏教保育そして日仏保の「はじまり」である仏教保育協会の創立という重要な出来事が、戦後からおよそ70年も曖昧なままだったことを意味しています。もちろん、関心をもって戦前の仏教保育の歴史を追究する先達がいることも事実です。しかしながら、このような背景には、戦後の混乱や時代経過による日仏保を取り巻く環境の変化、戦前の仏教保育に関する研究や積極的な意味付けの困難さなどがあったと考えられます。仏教保育協会の創立年をめぐる問題は、それらを象徴している事例なのです。機関紙『仏教保育678号)で、1928(昭和3)年7月28日(土)発行の新聞から「仏教保育協会生る」という記事を掲載しました。この中で、事務所の設置に際して、「幼稚園及託児所の経営相談」』1月号(第や「教材の選択と供給」、「研究会講演会等の開催」などを行うことが明記されていました。しかし、この年にはそれらの事業はほとんど行われていなかったようです。それを窺わせるのが次の資料です。これは、1929(昭和4)年1月29日(火)の読売新聞の朝刊の「宗教欄」に掲載された記事です。しかし、90年以上も昔の記事で、文字が旧字体だったりかすれたりつぶれたりしているため、見出しを含めて全文を再掲載しておきます。なお、旧字体は新字体に変更するなどしてあります。記事の見出しには、「保育協ように、仏教保育協会が事業を開始したことが書かれています。記事の冒頭には、「都ように、仏教保育協会は前年の10月に誕生したと記されています。つまり、1928(昭和3)年業として開催された発会式によって、仏教保育協会が正式に誕生したと明記されているのです。ところで、「都下」という言葉は、現在では「東京都下」の略として、主として東京都の管轄下全体の意味と、東京都の管轄下のうちで23区(区部)を除いた市部・郡部・島部を総称する意味があります。前者は、例えば「都内」や「県下」と同様の意味合いとして、後者は、不動産販売などでの使用を目にしますが、最近は見かけることが少ないかもしれません。もちろん、この記事は、戦後の1947(昭和22)年の地方自治法や戦前の1943(昭和以前の1929(昭和4)年の東京府の時代のものです。当時の他の新聞記事でも「都下」の文字を時折見かけますが、おそらく東京府全体を表す言葉として使用されていたようです。ただし、「都下保育事業関係者」という表現は、初期の協会の活動が東京中心だったという印象を受けます。もちろん、その後は全国的に事業を展開することになりますが、仏教保育協会が創立された当初は、全国志向ではあっても、実際的には東京中心であったことを窺い知れる文言といえるかもしれません。新聞記事の内容を改めて見ていきます。まず見出しでは、「保《日仏保の歩み⑬》―戦前編「仏教保育協会の事業開始」―  佐藤成道 淑徳大学アジア国際社会福祉研究所リサーチ・フェロー/曹洞宗常仙寺副住職  (出典:『読売新聞』1929(昭和4)年1月29日朝刊)「保育協会の事業開始」(3)第687号令和3年10月1日発行10月14日(日)に御大典記念事18)年の東京都制の施行よりも

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