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育 前号に引き続き、「令和2年度第2回仏教保育研修会」として配信された上垣内伸子先生の講義内容〈後半〉を紹介します。幼児教育・保育におけるESDの意義ESDを内包する日本の幼児教育・保育ここからは、幼児教育・保育とESDとの関係についてです。日本の幼児教育・保育というのは、これまでもずっとESDを内包してきたのではないでしょうか。仏教保育においては、特にそう感じます。ESDの成り立ちでお話しした「ESDの10年(持続可能な開発のための教育の10年)」を終えて名古屋で開かれた国際会議では、幼児教育・保育のESDにおける重要性も確認されました。OMEP(オメップ)でも、について、日本を含むいろいろな国でプロジェクトを行うなど様々な取り組みをしました。そういったOMEPの貢献もあったかもしれません。その総括的な会議において「乳幼児教育の分野ではESDの貢献が進んだ」と認められました。それによって、この会議で、乳幼児期のESDは、生涯に渡るサスティナブルなライフスタイルを獲得する基盤となること、誕生した時から開始されなければならないこと、子どもの自発的な活動である「遊び」を中心においた保育によって培われること、などが確認されました。幼児教育・保育におけるESDの意義をまとめると、幼児期は生活の基本的態度や価値が形成される時期であって、その時期のESDの取り組みは、新たな価値観をもった未来の社会をつくる担い手を育てるために重要であるということです。さらに、幼児期は保護者の養育下にあるゆえに、幼児を通して保護者へも影響が及びます。この点が、いわゆる学校教育でのESDの取り組みと異なる、乳幼児期のESDの大きな意義です。乳幼児は一人でいろいろなところに行ったりはできません。園では先生と、家庭や地域では家族と、いつも一緒ですね。ですから、幼稚園・保育園・子ども園でのESDの取り組みは、子どもを通して家族のライフスタイルをも変えていくことになるのです。ここでESDが目指す教育のあり方を確認しておきましょう。「個人・家族・地域・社会・地球全体…各レベルにおける生活の質の向上に貢献するような良質な教育」が重要となります。「教える」ことから、主体としての子どもが「学習する」ことへシフトチェンジし、ESDにおいて教育は知識・技能の習得ではなく、学ぶ主体者が学習していくための手段です。それぞれの園でも、次のような観点で園環境を見直してみると、ESDの第一歩になるのではないかと思います。①目の前の学習者に合わせた教②学習者の持ち込む文化的価値観の認識③教育内容の検討:それはSDを可能にするか?④平等・平和・環境保全につながる価値観の促進⑤学習環境の整備(サスティナブルな観点から)ESDにおいては、学び手の文化背景や生活環境が尊重され、それぞれの「生活」から教育が出発します。1人ひとりが、自分自身がどう生きるかを考えるからこそ、生活を題材として教育が展開されます。これは私たちにとって、とても馴染みのある概念です。幼児教育・保育は、まさに子ども1人ひとりの生活から出発し、子どもの生活を基盤において展開されるものでしたね。このように考えていくと、ESDというのは、日本の幼児教育・保育そのものというほど、発想が非常に類似していると思いませんか。(図5)実は、包括性というのも、私たちには馴染み深いものです。「5領域」というのは、保育の中で包括的に展開されるものですよね。私たちはいつもホリスティックな、全体的な教育・保育を実践しているのです。この「5領域」ですが、現在の幼稚園教育要領・保育所保育上垣内伸子先生(OMEP日本委員会会長・十文字学園女子大学教授)講師 オンライン令和2年度仏教保育研修会幼児教育・保育」 《後半》第2回「SDGs、ESDと主催:公益社団法人日本仏教保育協会図5 日本の幼児教育・保育とESD(3)第682号10年間、乳幼児期からのESD令和3年5月1日発行

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