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333333333333 ■3333「1929(昭和4)年」という年時の登場事業として、帝都に、仏教保育協会が創設された」(『理想の仏教保が「本会も今年は創立満5周年に相当いたします」と「編集後記」時の東京市立大塚隣保館講堂で創立発会式を行った。仏教保育協会が組織されて…」と述べ和3)年11月に京都で行われた「即そして、「1929(昭和4)年」という年時に言及される際の特徴としては、日付まではほぼ書かれていないこと、年時を記す際に参考にした資料などが明示されていないこと、「御大典(記念事業)」という文言と一揃いで説明される場合が多いことなどがあります。しかしながら、戦後の長きにわたって両者が混在していたこと自体が話題になることはありませんでした。これが指摘されるようになったのは、ここ10年と最近のことなのです。これはすでに本年の2月号(第679号)でも引用しましたが、堀緑羊が「昭和3年の御大典記念育』)と述べていたように、会長の安藤正純や副会長の富田斅純といった戦前における協会の役員も、「1928(昭和3)年」を仏教保育協会の創立年として認識していました(本段落引用の圏点筆者)。仏教保育協会の組織を最も早くそれは、1933(昭和8)年1月1日(日)に発行された機関誌『仏教保育』第2号で、堀自身で述べていることからも確かな事実です。これが戦後になると、「1929(昭和4)年」という年時が登場してくるのです。明文化された端緒としては、1955(昭和30)後の機関紙『仏教保育』創刊号であるといえます。創刊号の巻頭で、戦前には仏教保育協会の主事や機関誌『仏教保育』の編集責任者などを務めていた関岡賢一が「―仏教保育協会―創立当時の想い出」と題して、次のように振り返っています。年12月8日(木)に発行された戦戦災ですっかり資料を焼いたのと、それから最早25、6年も前のことでもあるし記憶も殆んど薄らいでしまったので、ただ想い出のままを書き綴ってみることにした。云いだした人は堀元■■信(号緑羊)師である。(中略)幸い各宗関係者の絶大な賛成を得て結成されたのが昭和4年であった。時恰かも天皇御即位式大典の年に当っていたので、御大典記念事業として、その年の7月の末、第1回の全国仏教保育夏期講習会を兼ねて、当「1929(昭和4)年」を仏教関岡によると、仏教保育協会は1929(昭和4)年に結成され、3)年10月14日(日)に東大仏青同年7月末に「第1回 育夏期講習会」を開催した際に創立発会式を行ったとしています。さらに、当時の副会長である笠原秀定も創刊号で「昭和4年ています。「御大典」という文言と共に記されることが多い協会の創立年ですが、昭和天皇の御大典は、1928(昭位礼紫宸殿の儀」や「大嘗祭」を併せた即位礼の国家的な儀式のことを意味していたことは本年の2月号(第679号)でお話ししました。しかし、機関紙『仏教保育』創刊号では、1929(昭和4)年を「天皇御即位式大典の年」として記しています。そして、これを祝した記念事業として、同年の保育協会が創立された年時としているのです。ところで、記事の後半で、1929(昭和4)年7月に初めて開催された仏教保育夏期講習会(現在の夏期仏教保育講習会)で、「創立発会式」が行われていたと記されています。確かに、前年の1928(昭和仏教保会館で発会式が行われていました。しかし、初めての全国規模の行事として開催され、100名以上もの関係者が参加した仏教保育夏期講習会には、仏教保育協会に直接的に接することが初めての参加者が多くいたはずです。そのため、講習会を開催する際に、仏教保育協会が創立されたことを改めて広く宣言する意味合いとしての「発会式」が行われていた可能性があるとも考えられます。しかし、関岡の記事を見ると、「堀信元」と書くところを「堀元信」と記していたり、「1929(昭位式大典の年に当っていた」と記していたり、冒頭では「戦災ですっかり資料を焼いた」「記憶も殆んど薄らいでしまった」と吐露したりしているように、書かれていることがすべて正確であると判断することが難しいことも事実です。さらには、関岡と同じ巻頭頁で、「1928(昭和3)年」と当時の理事長である山内勇仙の「発刊のことば」の中にも、「本協と書かれているように、戦後に機関紙が創刊された当時でさえ仏教保育協会の創立年が不確かだったことが窺えます。和4)年」を「時恰■かも天皇御即会が昭和の初年に結成」「回顧してみますと、正に二十数年」などこの背景には、太平洋戦争による戦火の影響で戦前の協会の関係資料が不在となり、戦後にようやく機関紙を発行するまでになっても、創立期に詳しい関係者の減少や協会の創立から30年近くという時間経過による記憶の曖昧さがあったようです。そして、戦後の混乱の中で協会を再始動させて組織を継続するだけでも大変な時代でしたから、仏教保育協会の創立年が「1928(昭和3)年」であると誰にも明確にわかる形で記録を残しておくことが難しかったのかもしれません。いずれにしましても、いまから保育』創刊号で、仏教保育協会の創立年を「1929(昭和4)年」と記した記事が登場したのです。これが結果的には、戦後に「1929(昭和4)年」という年時が広まる契機となり、機関紙の最初である「創刊号」という位置づけもあってか、その後の多くの出版物において、仏教保育協会の創立年に言及する際に「1929(昭和4)年」という2つの年時が併存している現状に影響を及ぼすことになったのです。次回もさながら「戦後編」のような内容となりますが、「1929(昭和4)年」という創立年が日仏保で浸透してきた経緯についてお話ししたいと思います。戦後の機関紙『仏教保育』創刊号令和3年5月1日発行66年前に発行された機関紙『仏教第682号(2)

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