202103
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333なぜ、発会式が「御大典記念事業」として行われたのかようやく組織して、会則なんかつくったんですが、誰も会費を納める人がいない。(中略)各宗派の宗門の主事の人たちに役員になってもらって、会費を納めてもらい、ようやく発会式になったわけです。(『私立幼稚園の昭和史』)仏教保育協会の関係者は稲葉茂だけでなく、協会では顧問を務めた渡邊海旭は日曜学校の顧問を務め、同じく協会の顧問を務めた高楠順次郎は仏青会館の建設以前に学生寄宿舎の創設を支援し、日曜学校では校長を務めたり、仏典講読会では講師を務めたりするなど、仏教保育協会の複数の役員が、東大仏青の関係者でもあったのです。これらの背景が相まって、仏教保育協会の発会式は東大仏青会館で行われることになったと考えられるのです。「昭和天皇の御大典」は、大正天皇の崩御による喪が明けてから行われた即位式や大嘗祭などの国家的な祝賀行事であったことから、日本中が大いに盛り上がりました。令和時代の御大典の熱狂ぶりは記憶に新しいところですが、昭和時代も負けていなかったかもしれません。次の写真は、当時の東京の様子を切り取ったもので、表題には「昭和三年拾壹月御即位御大礼(東京)行幸道路奉祝門」と書かれています。御大典は「御大礼」とも称されますが、昭和天皇の御大典が行われた1928(昭和3)年11月の東京の大通りが大勢の人で賑わっている様子が写っています。「行幸」は天皇が外出されてお出ましになることですが、各地で御大典記念事業として主要な道路が舗装されたり、「奉祝門」という写真にあるような御大典をお祝いする大きな門や奉祝塔が建てられたり、中には装飾にイルミネーションが施されたものもありました。昭和時代の御大典について、その熱狂ぶりを一概に令和時代と比較することは難しいですが、全国的に相当な盛り上がりを見せていたであろうことは想像に難くありません。御大典を記念した事業は、道路整備などの公共的な事業に限らず、博覧会や各種催しの開催、建物の年4月に開場しています。建築や整備、記念の植樹や記念碑の設置、記念映画の公開や様々な記念品の製作など、全国で「御大典」と銘打った記念事業は、枚挙にいとまがありません。ところで、御大典記念事業は昭和天皇の即位礼などが行われた1928(昭和3)年のうちに完遂させなければならなかったわけではありません。この年以外でも「御大典」と銘打った事業は多数見受けられます。例えば、福岡県大牟田市に、その名も「御大典記念グラウンド」がありますが、この陸上競技場は1929(昭和4)仏教保育協会の発会式は、そのような日本列島が大いに盛り上がっていた時期に開催されたのです。発会式が行われたのは、協会設立の大きな要因となった1926(大正15)年の「幼稚園令」制定から2年あまりという適時のように見えます。しかし、御大典記念事業として行われていたからこそ、必ずしも満を持しての発会式ではなかった可能性があるのです。それは、戦前の仏教保育協会の役員で、戦後には協会の理事長も務めた青柳義智代が、次のように述べていることに関係しています。青柳によると、「仏教保育協会を組織しても会費を納める人が誰もいない状況で、各宗派の主事が役員になって会費が納入されたことでようやく発会式が開催できた」というのです。仏教保育協会の創立期におけるこのような指摘については、青柳が言及しているくらいです。ただし、引用した文章の前には「昭和4年に仏教保育協会っていうのが誕生」と書かれているなど、深い考察を必要とする内容も含まれていることから、書かれていることがすべて正確であると判断することは難しいのが実情です。青柳が言及している「発会式」というものが行われた時期は、おそらく1929(昭和4)年を想起してのことだと考えられます。しかし、これまでお話をしてきました通り、発会式は御大典記念事業として1928(昭和3)年に行われていました。それでも、資金が集まらなかった状況が仮に一時的であれ発生していたことが、事実無根の話であるとは思えません。なぜなら、1928(昭和3)年の大きな動きとしては7月の事務所開設と10月の発会式開催くらいですし、1929(昭和4)年以降に資金集めで苦労していましたし、何より本格的に通仏教主義の保母養成所設立を主要目的として仏教保育協会を創設したにもかかわらず、創立当初からほとんど進展のない状況が2年ほども続いていたからです。つまり、仏教保育協会の設立には、本来的にまだ準備期間が必要だったところを「御大典」の盛儀という時機に合わせて時流に乗った記念事業として、仏教保育協会をある意味では早期に創立させたとも考えられるのです。だからこそ、「仏教保育」という言葉が突如として登場してきたという印象が協会の役員でさえあったことに説明がつくともいえます。しかしながら、仏教保育協会の設立や発会式の時期をめぐっては、「1928(昭和3)年」と「1929(昭和4)年」という2つの年号の可能性があるかのような印象を受けるかもしれません。次回は、そのあたりの複雑な事情についてお話ししたいと思います。1928(昭和3)年11月 御大典時の東京の様子(7)第680号令和3年3月1日発行

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