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はじめになぜ、発会式は東大仏教青年会館で開催されたのか正8)年3月16日(日)の公開大年9月に発生した関東大震災など《日仏保の歩み⑨》―戦前編「東大仏青会館で発会した背景とその時期をめぐって」―佐藤成道 仏教保育協会の発会式は、1928(昭和3)年10月14日(日)昭和天皇の御大典記念事業として、東京帝国大学仏教青年会館(以下、東大仏青会館などと略します)で行われました。昭和天皇の御大典とは、1928(昭和3)年11月10日(土)京都御所での「即位礼紫■宸殿の儀」(現在の「即位礼正殿の儀」)や同月14日(水)〜15日(木)の大嘗祭などの一連の国家的な儀式のことを意味していました。ただし、「御大典記念事業」として発会式が行われていたからこそ、必ずしも適時開催とは言い切淑徳大学アジア国際社会福祉研究所リサーチ・フェロー/曹洞宗■■■■れない可能性が見出されるのです。そのあたりの事情については後半で触れますが、まずは、東大仏教青年会館で発会式が行われた背景についてお話をしておきたいと思います。東京帝国大学仏教青年会(東大仏青)の創設は、1919(大講演会で創立の宣言がなされたことに起因しますが、東大仏青会館が完成したのは、それから約5年後のことです。1921(大正10)年3月、東大仏青の組織的運営や学生修養、各種事業などを展開する拠点として、会館の建設が理事会にて決定されました。1923(大正12)の影響により、当初の鉄筋コンクリートの建設計画から木造モルタル外壁3階建てに変更はされましたが、1924(大正13)年5月に着工し、同年11月には会館の完成を祝う落成式が行われました。そのため、1928(昭和3)年に行われた仏教保育協会の発会式は、会館の完成からわずか4年後という落成して間もない会場で行われていたのです。活動の拠点を得た東大仏青は、会館を基点として様々な活動を展開しはじめました。その先駆けとなったのが、関東大震災が発生した際に、仏青の敷地で多くの被災者にお粥の炊き出しや湯水を提供するなどして支援する中で、被災で生じた借地や借家の問題で苦しむ被災者の相談に対応したことです。この無料の法律相談所の開設を皮切りに、戦前には、日曜学校、日曜講演、仏典講読会、出版事業、無料健康相談所(1931 [昭和6] 年〜)など様々な事業が展開されました。ところで、仏教保育協会の事務所が開設されたのは、当時の東京府南■飾郡寺島町玉ノ井でした。現在の当該地は、東京23区内の墨田区に位置していますが、当時は、1878(明治11)年7常仙寺副住職  月に制定された「郡区町村編制法」により、同年11月に設置された麹町区や日本橋区、本郷区などをはじめとした15区ではなく、6郡の一つであります南■飾郡に含まれました。ちなみに、その後「東京市」が設置され、1932(昭どが「向島区」として編成されてと呼ばれる23の特別区で構成される区域がほぼ形作られました。当時の玉ノ井は東京市の郊外にありましたが、仏青会館は東京市内の本郷区に立地していました。1928(昭和3)年7月、玉ノ井にあった玉井閣(現在の曹洞宗神向山 東清寺)に仏教保育協会の事務所が設置されましたが、それから約半年後には本郷区(現在の文京区)に移転していたことから、本郷区での発会式の開催は協会の関係者にとって利便性がよかったと考えられます。事務所開設からおよそ1か月後の同年8月には仏青会館で御大典記念事業について話し合う懇談会が行われていましたが、翌9月末にも仏青会館で協議が行われ、それから約半月後の10月14日(日)に発会式が開催されたのです。当時の仏青会館では、宗派を問わず多くの仏教関係の団体や寺院が講演会や研究発表会、各種の打ち合わせなどを行っていました。の15区は1889(明治22)年に和7)年には南■飾郡寺島町な発会式が行われた10月は、仏教保育協会も含めて延べ10件もの利用がありました。そのため、当時の仏青会館は、仏教関係者が様々な行事を開催する際によく利用していた場所でもありました。都市部に立地する仏青会館は、仏教関係者が集まりやすかったことから、数多くの行事が行われていたのかもしれません。しかしながら、仏教保育協会の発会式が仏青会館で行われた要因としては、稲葉茂の存在が大きかったのではないか、と私は考えています。稲葉は、1926(大正15/昭和元)年度から1931(昭和6)年度まで東大仏青の主事を務めていました。日常的な組織運営や、当時行われていた様々な活動の準備や連絡調整、会計業務などを行い、当時発行していた機関雑誌の編集や発行の代表も務めるなど、東大仏青を運営する中心的な立場にありました。さらに、仏教保育協会では堀緑羊と共に協会の設立委員を務め、協会発足後は堀と同じく理事を務めていました。発会式が行われたのは、稲葉茂が東大仏青の主事を務めていた時期にあたる1928(昭和3)年のことで、仏教保育協会の創立当初から協会との関わりが深かった稲葉の存在が、東大仏青会館での発会式の開催へと導いたのではないかと考えられます。さらには、当時の東大仏青で、 令和3年3月1日発行35区となり、戦後に「東京23区」第680号(6)

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