202102
4/8

3333333 333333■■■■■■■■■■■■333333333333はじめに仏教保育協会の設立に関連した記述「御大典」とは《日仏保の歩み⑧》―戦前編「御大典記念事業としての発会式」―佐藤成道 淑徳大学アジア国際社会福祉研究所リサーチ・フェロー/曹洞宗日仏保の前身組織である仏教保育協会は、1928(昭和3)年10月14日(日)、東京帝国大学仏教青年会館(現在の東京大学仏教青年会館)で発会式を開催しました。発会式とはいっても、協会が設立されたのは、およそ3か月前の同年7月のことです。当時の東京府南■飾郡寺島町玉ノ井(現在の墨田区墨田3丁目)にあった布教所である「玉井閣」(現在の「曹洞宗神向山 東清寺」)に事務所が設置されたことを契機として、仏教保育協会が組織的に動き出したことで、日仏保の歴史を刻む時が動き始めたのです。仏教保育協会の事務所の開設から3か月後、東京帝国大学仏教青年会館で発会式が開催されましたが、それにはどのような経緯があったのでしょうか。まずは当時の協会関係者の言葉から、設立をめぐる実情について見ていきます。戦前における仏教保育協会の設立に関連した記述では、例えば、事務所の設置については、堀緑羊ご自身による記述くらいでしか見かけることはありません。また、東大仏教青年会館で発会式が開催されたことに触れた資料も1、2を数えるくらいです。それでも、当時の協会役員は、具体的な月日までは触れていなくても、「1928(昭和3)年」という年号では認識が一致していました。例えば、会長の安藤正純は「昭3和3年御大典を記念に仏教保育協会を設立」(機関誌『仏教保育』創刊号・第2号)、副会長の富田斅純は「昭和3年御大典の盛儀を「1928(昭和3)年」である常仙寺副住職  記念する事業として、仏教保育協会は創立せられた」(『登々勢の営み』)とそれぞれ述べています。堀緑羊も「昭和3年の御大典記念事業として、帝都に、仏教保育協会が創設された」(『理想の仏教保育』)と述べるなど、戦前における協会の関係者は、「1928(昭和3)年」が仏教保育協会の設立された年号であったことを共通の認識としていたといえます(本段落引用の圏点筆者)。ただし、先ほども言及しましたが、肝心の日付までは書かれていませんので、仏教保育協会の設立が、1928(昭和3)年の「7月」か「10月」かについては、当時の役員の共通認識として明確にされていたわけではありません。いずれにしましても、仏教保育協会の設立された年号はことに間違いはありません。しかしながら、仏教保育協会設立の時期をめぐっては、もう少し議論の必要があるため、次々回の機関紙で詳しくお話をする予定です。ところで、先ほどの引用を見ると、「昭和3年」という協会役員の文言とともに、必ずといってよいほど一揃いになっているのが、「御大典」という言葉です。現在でも書籍や事典などで戦前における仏教保育協会の設立に関する記述では、「御大典」の文言を見かけることもしばしばです。そのため、今回は「御大典」について詳しくお話をしておきたいと思います。「御大典」とは、何を意味しているのでしょうか。仏教保育協会の設立に関する記述では、「御大典」の他にも「御大典事業」や「御大典記念事業」などの文言が見えます。これだけ「御大典」という言葉とセットで明記されているということは、「仏教保育協会設立」は「御大典」と分かちがたく結び付いているためだと言っても過言ではありません。それは、仏教保育協会設立の主唱者である堀緑羊自身が両者を結び付けて言及していることからも明らかです。「御大典記念事業」としての仏教保育協会設立であったという認識が、堀を含めた戦前の協会関係者にはあって、それだけ記憶に残る出来事だったということを象徴しているのです。「御大典」は、盛大、重大な儀式を意味する「大典」に物事や行為に対する尊敬を意味する接頭語■■■■■新■嘗祭である大■嘗祭などの一連の■■■■■■■■■■■■勾■■玉・八■■咫鏡■■という「三種の神器」原■と黄■泉国の中間の地上で日本国■■天■■孫降■■臨の際に、天照大神から■■■■神■勅とともに授けられた神■■宝とさの「御」を付けたもので、とりわけ天皇の即位礼や、その後に天皇が天照大神をはじめとしたすべての神々にその年の新穀などをお供えして感謝を奉告し、天皇ご自身も食して五穀豊穣、国家や国民の安寧などを祈る即位後の最初の儀式のことです。2019(令和元)年5月1日(水)には、今上天皇である第126代徳仁陛下が皇位を継承されました。平成から令和への改元という歴史的なお代替わりは記憶に新しいところですが、「皇位継承」と「即位」は、厳密には異なります。「皇位継承」は「践■■祚」とも称されますが、これは天皇の御位につかれ、神剣・神■■璽・神鏡としての天■叢雲剣(草■薙剣)・八■尺瓊を継承することです。三種の神器は、『古事記』や『日本書紀』における伝承として、天照大神の孫にあたる瓊■■瓊杵■尊■■に命じて、高■天■の異名とされる葦■原中■国を治めるために、日■■向に天■降■ったというれるものです。皇位継承は、践祚して三種の神器を授かることですから、令和時代においては、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」(通称■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■令和3年2月1日発行第679号(4)

元のページ  ../index.html#4

このブックを見る