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■ヒトと微生物の共生関係■ヒトの「誕生」とウイルス■歴史に残る初期対応の失敗■つながり合う「相依相関」東京大学名誉教授大井   玄  先 生 玄(おおいげん) 「いのちの共生私たちとウイルス―パンデミックをめぐって」大井玄先生は、公衆衛生学の立場から、新型コロナウイルスのパンデミックをめぐるヒトとウイルスの関係について、次のようなお話をされました。マスクをして他の人と社会的距離をとり、握手やハグを避ける――。新型コロナウイルスの流行は、私たちの日常を大きく変えました。このウイルスは人間に恐怖をもたらします。一方で、ウイルスは人類よりはるかに長い40億年もの歴史をもち、実はヒトの体や繁殖に欠かせない存在です。例えば、哺乳動物の口から肛門にいたる消化管は、大腸菌などよく知られているものから未知のものまで膨大な数の微生物に覆われ、生きていくうえで非常に重要な役割を果たしています。それは、排出される便の半分が細菌の死体か生きた細菌であることからもわかるでしょう。私たち人間は、非常に多くの微生物と共生しているのです。ヒトにはわずか20万年程の歴史しかなく、微生物がなければ人間が生まれることもありませんでした。ヒト遺伝子(ゲノム)の約半分はウイルスに由来しています。遺伝子は、遺伝情報を伝えるという生物にとって大変重要な役割を担うものです。また、人体には異物を排除する免疫システムがありますが、胎児の染色体の半分は父親のものなのに、なぜ母親の体内では移植した臓器のように拒絶反応が起きないのでしょうか。実は、1枚の非常に薄い細胞の膜によって、母親のリンパ球が胎児の血管に入らないようにブロックされているのです。20世紀末になって、この細胞の膜は体内のウイルスがつくったものであることが明らかにされました。「生命の樹」という系統発生図を見ると、生物の発生過程において、遺伝情報は直線的に進化してきたのではなく、大変からみ合い混ざり合ってきたことが分かります。さて、私たちがいま直面している新型コロナウイルスも、ウイルスの一種です。公衆衛生学では、感染症の影響を予測する要因として、①病原体、②ホスト(宿主)、③環境条件の3つが挙げられます。①病原体は、感染力や毒性など、②ホストは、年齢や基礎疾患の有無など、③環境条件は、交通量、初期対応、指導者の方針などの要因です。新型コロナウイルスの世界的な流行をもたらした環境条件としては、2002年に始まったSARS(サーズ)の流行時などにくらべ、発生地である中国に往来する交通量が爆発的に増えたこと。次に、発生時の初期対応がうまくいかなかったことが挙げられます。ウイルスの流行抑制には初期対応がいかに大切かを示す例として、今回のパンデミックは公衆衛生の歴史に残ると、予見しています。まず発生地である中国での初期対応には明らかに不適切な点があったようです。また、地球は密接に連動していますから世界規模の保健対策が非常に重要です。しかし、当時アメリカでは、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)の海外部局を49か国から10か国まで減らすなどの施策が進められていました。そうした結果が、感染者1千百万人超・死者約25万人(2020年11月現在)という世界ワーストワンの感染拡大をもたらしたのではないでしょうか。パンデミックをめぐるヒトと感染症との関わりを考えると、仏教の存在論が思い出されます。ブッダの説かれた「無常」「無我」「相依相関」。微生物は40億年の歴史をもち、ヒトよりずっと速いスピードで世代交代をくり返し進化していきます。そして、1つの現象は他のあらゆる現象とつながり、存在の関わり合いが常に成り立っていることが注目されます。自分の身近で起きていることは、遠く離れたところで起きていることと関係し、「いのち」は互いにつながり合っているのです。最後に、質疑応答の中で、「ウイルスの目的は共生していくこと」というお話もありました。国際的に撲滅宣言が出された天然痘のように、毒性が強すぎて宿主が死んでしまったり人類の敵として徹底的に排除されてしまったりするようでは、ウイルスの進化としては失敗。宿主の免疫が低下すると症状が出てくる帯状疱疹の例のように、長く宿主と共生してこそ、ウイルスは目的を果たしているといえるのです。大井教授。東京大学医学部卒業後、大学院修了。東京大学大学院国際保健学専攻教授、国立環境研究所所長などを務め、臨床医として診療を続けながら国際保健、地域医療、終末期医療に携わってきた。著書に『病から詩がうまれる』(朝日選書)、『人間の往生』(新潮新書)などがある。医学博士・東京大学名誉東京大学名誉教授大井 玄先生(5)第678号77年ハーバード大学公衆衛生令和3年1月1日発行

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