仏教保育協会の「発会式」そして、記事の最後には、仏教保育協会の最初期の事業内容として、「幼稚園及託児所の経営相談」や「教材の選択と供給」、「講師の派遣と保母の紹介」などを行っていたことが書かれています。保母については紹介という形ですが、堀緑羊がそれまで必要性を訴えていた事業の多くが列記されています。その中でも、「幼稚園及託児所の経営相談」が事業項目の先頭に記されていることは、これまでの「日仏保の歩み」の中でお話ししてきました仏教園の開設や経営に関連した事業として、とても重視していたことを示唆しています。いずれにしましても、「仏教保育」という名称を冠した組織の事務所が、1928(昭和3)年7月に立ち上げられていたことは事実です。その一方で、新聞記事には「当分」という文言が見えるなど、この段階ではまだ小ぢんまりとしていて、先行的に事務所が立ち上げられたような印象を受けます。「仏教保育協会生る」の新聞記事は、1928(昭和3)年7月28日(土)の読売新聞朝刊の「宗教欄」に掲載されたものです。この記事には、仏教保育協会が誕生したことや事務所が立ち上げられたことなどは書かれていますが、肝心の日付までは書かれていません。「宗教欄」は、1925(大正面に設けられ、毎日、宗教関係の記事が掲載されていました。そのため、当日も含めて7月も残り4日という日に掲載された記事であることから、7月中には事務所が設立されていたと考えられます。あるいは、7月以前から、仏教保育事業に関連した何らかの活動をしたり、事務所開設の準備を進めたりしていたとしても、仏教保育協会が誕生したことを一般に公表した時点から、1ヶ月も2ヶ月以上も前にすでに誕生していたことを想起させようとしていた、などと見做すことは不自然です。ともあれ、新聞掲載の時点で仏教保育協会が設立されていたことは事実で、協会組織はこの公表の頃に始動したといえます。そして、翌8月には、東京帝国大学仏教青年会館(現在の東京大学仏教青年会館。以下、東大仏教青年会館などと略します)で懇談会が行われるなど(『読売新聞』1928 [昭和3] 年8月30日朝刊)、組織的な会合が開始されたのは7月の新聞の報道以降です。このような話し合いを重ねて、事務所の設置から約3か月後の1928(昭和3)年10月14日(日)、仏教保育協会の発会式が開催されることになりました。ところで、次の写真は、仏教保育協会が誕生し、発会式が行われた1928(昭和3)年と同年の1月24日(火)の朝刊の記事です。見出しには、「民政党の第一声」と書かれていますが、仏教保育協会の発会式の様子を写した写真などがないため、当時の東大仏教青年会館の様子を窺える資料として掲載しました。この写真は、記事が掲載された前日の23日(月)夜の会館の様子を切り取ったものです。この2日前の1月21日(土)には、前年に憲政会と政友本党が合流して「第54回 帝国議会」の開院時に、与党の立憲政友会を数で上回った立憲民政党から内閣不信任案が上程されるも、前日の閣議での決定通り、政友会の田中義一総理が衆議院を解散していました。政友会と民政党に関しては、2009(平成21)年の民主党による政権交代など二大政党制の話題の際にしばしば登場しますが、この二大政党が相互に政権を担当するという「憲政の常道」が短期間でも慣例的に行われていた時代でした。その中で、1928(昭和3)年2月20日(月)に行われた「第16回 員総選挙」は、「第1回 通選挙」とも称されるように、基本的には日本国籍を有し、「共通法」に規定された内地に居住する満25歳以上のすべての成年男子に選挙権が与えられたはじめての選挙でした。これに向けて、民政党が第一声を上げて演説をしたのが、東大仏教青年会館だったのです。壇上では、前年まで第1次内閣として第25代、1931(昭和6)年には第2次内閣として第28代の内閣総理大臣を務める顧問の若槻禮次郞が総選挙へ向けた演説をしています。投票を呼びかける熱弁に、超満員の会館は聴衆であふれていて、100名を優に超える人々が入れる広さだったことが見て取れます。東京帝国大学仏教青年会(東大仏青)の創設は、1919(大正8)年3月16日(日)に小野清一郎・木村泰賢・白井成充が創立を主唱し、有志の学生などの協力で公開大講演会が開催されて、創立の宣言がなされたことに起因します。当時は、大正デモクラシーと称される時代で、欧米の民主主義や自由主義などの影響を多分に受けていましたが、東大仏青はこれを日本の歴史や文化に底流してきた仏教精神に拠った立場から、社会や教育、文化などを再興するという理念を掲げ、会館を基点衆議院議として様々な活動を展開していました。現在の東京大学仏教青年会は、東京メトロ丸ノ内線の「本郷三丁目駅」から本郷通りを挟んだ向かいにある「三菱UFJニコス本郷ビル2階」にあります。そして、この場所は当時の東京帝国大学仏教青年会館と変わらず、ほぼ同じ土地に立地しています。仏教保育協会の発会式については、「1928(昭和3)年10月式が開催された」ということ以外に、当時の詳しい様子は伝わっていません。しかし、仏教保育協会が1928(昭和3)年に東京で産声を上げ、本郷の地で発会したことは紛れもない事実です。ここから、仏教保育協会の第一歩が踏み出され、昭和、平成、令和へと続きゆく「日仏保の歩み」がはじまるのです。(出典:「民政党の第一声=ゆうべ本郷仏教青年会館で=」『読売新聞』1928年1月24日朝刊)(3)第678号14日(日) 仏教保育協会の発会普令和3年1月1日発行「東京帝国大学仏教青年会館の様子」14)年5月25日(月)から朝刊紙
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