キリスト教の存在教保育」という言葉とは異なる「仏教保育」だったといえます。繰り返しになりますが、『仏教幼稚園経営法』は1927(昭和2)年10月15日に出版されました。そのわずか9ヵ月後には、幼稚園と保育所(託児所)を統一した「仏教保育」という今日まで継承されている言葉が登場してきたのです。(亜米利加婦人教授所)」(現在のつまり、1927(昭和2)年の『仏教幼稚園経営法』の出版の頃から、仏教保育協会が設立されるまでの間に「仏教保育」という言葉が登場し、これが「仏教保育協会」という組織の名称として名付けられたことからも、「仏教保育」という言葉は、仏教保育協会の設立と時を同じくして誕生したといえるのです。「仏教保育」という協会の名称のもとに、幼稚園も保育所(託児所)も一体となるべく登場したのが「仏教保育」という言葉で、この名称が名付けられたのが「仏教保育協会」でした。さらに「仏教保育」という言葉には、「通仏教」という意味が込められていましたが、これは、キリスト教の存在に起因するところが大きかったのです。「仏教保育」という言葉の誕生、そして仏教保育協会の設立には、キリスト教の存在が大きく影響していました。1872(明治5)年に制定された「学制」には、幼児教育施設として「幼稚小学」が規定されました。しかし、前年の1871(明治4)年には、アメリカから3人の婦人宣教師が来日して、横浜に「アメリカン・ミッション・ホーム横浜共立学園)を設立し、すでに女子教育や養育(保育)も行っていました。1880(明治13)年には日本で最初の私立幼稚園でキリスト教主義の「桜井女学校附属幼稚園」が東京に、同年10月には「ブリテン女学校附属幼稚園」(現在の横浜英和幼稚園、横浜本牧教会附属早苗幼稚園)が神奈川に創設されるなど、キリスト教保育史には早期からの先駆的な事績が残されています。ちなみに、両幼稚園はその後、廃止や休園をしていることから、創設当初から継続的に現存しているのは、1886(明治幼稚園」(現在の北陸学院第一幼稚園)といえます。その後、「幼稚園令」が制定された1926(大正15)年には幼稚園の総数が1,066で、初めて1,000を超えました。この内、私立幼稚園の数は692で、キリスト教主義は191とおよそこの時の仏教系幼稚園の数は明らJapan Kindergarten Union)nnie Lion Howe)によって、1889(明かではありませんが、明治時代から大正時代にかけての幼稚園に関しては、仏教のそれよりもキリスト教の方が普及していたと考えられます。また、組織についても、キリスト教には1906(明治39)年に、在日の外国人を中心に創設された日本幼稚園連盟(JKU:早い時期からありました。また、1915(大正4)年には、全国に12支部が組織され、とりわけ関東支部は会員数も多くいました。その後、JKUの支援も受けて、1931(昭和6)年に日本人のキリスト教保育関係者を中心とした「キリスト教保育連盟」が設立されました。さらに、保母養成機関についても、早くには先に言及した「桜井女学校」で保母養成が開始されましたが、当時、多くの養成機関では、幼稚園で見習いをしながら保育の方法を短期的に学んで保母になるような時代でした。そんな中、A·L·ハウ(A治22)年には、兵庫に「頌栄保母伝習所」(現在の頌栄短期大学)が設立されました。ハウは、2年制という専門的な養成機関で優秀な保母を全国に輩出し、その後の多くのキリスト教主義の保母養成機関に養成の方式が継承されたり、キリスト教主義を精神としたことで本格的なフレーベル主義保育を日本に導入したりするなど、彼女は日本におけるキリスト教保育のみならず当時の保育界の発展に多大な影響を与えた人物でした。明治時代から大正時代にかけて、キリスト教は10もの養成機関を数えるまでになっていましたが、仏教主義の保母養成機関は明治時代には存在せず、大正時代にもほぼないような状況で、養成機関に関しては明らかにキリスト教が中心的な存在でした。その後、昭和時代に入った1930(昭和5)年、ようやく京都に「本派本願寺保母養成所」(現在の京都女子大学発達教育学部児童学科)が設立されましたが、キリスト教の養成機関の数に比して、相当に後れを取っていました。このようなキリスト教の幼稚園や保育組織、保母養成機関など、仏教よりも先んじた状況が、「仏教保育」という言葉のはじまりや仏教保育協会の設立に大きな影響を与えることになったのです。これらの中でも、とりわけ保母養成機関に関しては、堀緑羊が「少なくとも仏教界には一つや二つくらい内容の充実したこれだという仏教主義の保母養成機関が有って欲しい」(『仏教幼稚園経営法』)などと仏教主義の保母養成機関や保母の存在を重視する必要性000 がを提唱していました。そのため、全国の各宗派における仏教園で活躍する保母を養成する必要から、通仏教主義の保母養成所の設立を実現すべく各宗派の宗務所を残らず丹念に訪問し、全8宗派もの協力を得たことで、仏教保育協会の設立へと大きく前進することができたのです。「仏教保育」という言葉や「仏教保育協会」という通仏教組織の誕生は、キリスト教主義の養成所出身の保母が仏教園に勤めるなど、キリスト教保育の影響力に対する危機感の表れでもありました。そのため、堀緑羊は「仏教保育」という言葉を仏教保育協会の設立と時を同じくして提唱し、協会の名称としても象徴的な旗印としての意味合いを込めたのです。それこそが、通仏教主義の保母養成所設立へ向けて仏教界が一致団結することを目指し、全国の仏教系の幼稚園や保育所(託児所)の垣根や宗派を超えた組織として一体化し、既存の仏教園などの関係者のみならず、これから新たに事業を始めようと志す関係者も全国的に支援することで、子どもたちはもちろんのこと、その家族や地域の安寧も通仏教によって意図すべく命名されたのが「仏教保育」という名称だったのです。そして、次回はその「仏教保育」という名称を冠した協会組織がいよいよ誕生する日を迎えます。令和2年12月1日発行30%もの割合を占めていました。19)年に開設された石川の「英和第677号(2)
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