2020-2021
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■第675号■はじめに《日仏保の歩み④》 ―戦前編「仏教保育協会設立の背景」― 今上天皇が即位され、令和という新たな元号となった昨年、日仏保は90周年を迎えました。戦前の仏教保育協会も、昭和天皇の御即位の御大典記念事業として機運が高まっていた時代に設立されました。戦前の機関誌創刊(1932[昭和7]年12月1日)にあたって、戦前の初代会長の安藤正純は、「保育事業は大正15年幼稚園令発布より目覚ましく発展した、そのうち仏教関係者の設立はかなりの数に上ってきた、これが連絡と統一とを計る目的で、昭和3年御大典を記念に仏教保育協会を設立し淑徳大学アジア国際社会福祉研究所リサーチ・フェロー/曹洞宗て、・・・」と巻頭の冒頭で述べています。この言葉は、仏教保育協会が設立された背景を端的に表しています。協会の設立は、昭和天皇御即位を祝う御大典の記念事業であったことや、1926(大正15)年に「幼稚園令」が制定されたこと、そして、仏教園の増加が背景にあることが当時の役員の共通認識でした。御大典記念事業については、協会創設の時機的な意味合いもあったことから、協会設立の発会式について言及をする際にお話しします。また、他の協会設立の背景としては、キリスト教の存在、通仏教ということの追求、幼稚園・保育所(託児所)などの垣根を越えた連携、保母養成所の充実、仏教園での保母の活躍を期したことなどが挙げられます。これらについても、これから適宜ご紹介していきます。今回は、設立当初の協会関係者が共通して認識していた創設背景である幼稚園令の概要と仏教園増加の背景についてお話しします。「幼稚園令」が制定されたのは1926(大正15)年4月22日のことですが、同日には「幼稚園令施行規則」(以下、「施行規則」と略します)も規定されました。1899(明治32)年には、幼稚園に関するはじめての法的規程である「幼稚園保育及設備規程」(以下、「規程」と略します)が制定されました。しかし、翌年には「第三次小学校令」に付随する「小学校令施行規則」に取り入れられる形となりましたが、独立した法令である幼稚園令および施行規則には、対象年齢、保母一人が保育する幼児数、幼稚園の幼児数、保育項目、幼稚園の設備など、規程の多くが継承されました。その一方で、新たな条項の設置や規定の変更もありました。まず、規程では「満3年より小学校に就学するまで」だった対象年齢が、これを原則としながらも、特別の事情がある場合には、3歳未満の幼児の入園も認められました。次に、保母については、1900常仙寺副住職  (明治33)年に制定された「小学校令施行規則」第204条で「幼稚園において幼児を保育する者を保母とす」と規定されました。その資格については、「保母は女子にして尋常小学校本科正教員又は准教員たるべき資格を有する者又は府県知事の免許を得たる者たるべし」と定められ、尋常小学校本科の准教員でも可能とされました。准教員は、正規に学級を受け持たず正教員の補助をしていましたが、例えば、准教員の月俸(月給)で最も低い等級の6級上俸で比較すると(本科正教員の最低等級は円と3割程でした。ちなみに、明治30年頃の金額を現在の物価でおおまかに考えると、前者が約48万円、後者が約14万円で、同じ等級でも大きな開きがありました。また、准教員は、特別の事情があるときは免許状を有していない者でも代用ができるとされていました。これが、幼稚園令第9条では「保母は女子にして保母免許状を有する者たるべし」と規定されました。免許状は、保母検定に合格した者に授与され、全国で有効とされました。また、小学校の本科正教員の免許状を有することや学歴、幼稚園で保育に従事した年数などの諸条件よっては、試験を免除される特例もいくつか規定されました。それでも、保母免許状を有する者を得がたい場合には、保母の代用として無免許の保母を免許状を有する保母の2分の1を超過しな佐藤成道 「「幼幼稚稚園園令令」施お行規よ則び 」(1)第675号10級)、正教員が24円に比して7令和2年10月1日発行仏教保育2020.October10

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