2020-2021
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明治・大正時代における幼稚園や保育所(託児所)について「法■均■」と称するようになりました。764(天平宝字8)年には、藤原仲麻呂による恵美押勝の乱の関係者およそ数百人に対し、上皇に嘆願して死刑から流罪へと軽減されました。この反乱後には、凶作や疫病が起こり、子どもが都大路に置き去りにされるような事態となりました。泣き叫ぶ子どもの声に胸を痛めた法均尼は、女官たちに命じて83名もの子どもたちを保護して養子にしました。日仏保が法均尼を「仏教保育の祖」としているのは、子どもたちに対する彼女のこのような行いに起因しています。さらに、その背景をもう一つ指摘しておきます。それは、仏教保育協会の設立を主唱し、「仏教保育」という言葉を使用し始めた堀緑羊が、戦前の機関誌『仏教保育』(第4号)における「保母としての法均尼」と題した記事の中で、「保母としての法均尼を、私は讃仰したい。」と記していることです。堀緑羊は、1949(昭和24)年に遷化されています。その3年後の1952(昭和27)年に「第2回が開催されました。この時期に「法均尼を仏教保育の祖とする」という決議がなされた巡り合わせは偶然でしょうか。いずれにしましても、日仏保、仏教保育では、戦前から現在まで法均尼を「仏教保育の祖」として継承しているのです。は、平安時代に子どもたち18人を保護して養育した鴨河悲田院の預僧賢義、室町時代に子どもたちの養育者を募集し費用を渡して養育してもらうなどしていた無求周伸禅師、江戸時代には、大光院内の寺寮で多数の子どもたちを「弟子」として養育した呑龍上人、子どもたちを寺で養育し読全国仏教保育大会」なお、法均尼以降でみ書きを教えるなどした了翁禅師、子どもと共に遊び子どもの心をそのまま心として体現していた良寛禅師など、を仏教保育史における事績と位置づけています。ここからは、仏教保育協会が設立された機縁の一つである幼稚園令の制定までの保育関係の歴史を明治時代から概観していきます。1872(明治5)年に発布された「学制」の中で、幼児教育施設は「幼稚小学」の名称で記載されましたが、入学する年齢の規定はありませんでした。1876(明治9)年には、日本で最初の官立の本格的な幼稚園である「東京女子師範学校附属幼稚園」(現在の「お茶の水女子大学附属幼稚園」)が創設されました。さらに、1880(明治13)年にはキリスト教系の日本で最初の私立幼稚園である「桜井女学校附属幼稚園」が東京で創設されました。しかし、当時、幼児は家庭で育てることが一般的で幼稚園の数も少ないことから、上流階級の子どもたちが通う特別な場所のように思われるなど、幼稚園に対する関心は低い状況でした。1879(明治12)年には学制に代わって「教育令」が公布されて、教育関連の法令において正式に「幼稚園」という名称が使用されました。その後、幼稚園の設置廃止の基準などが定められ、1890(明治23)年の「第二次小学校令」の中で、市町村や町村学校組合が幼稚園を小学校に付設できることが明記されました。東京女子師範学校附属幼稚園の規則をはじめ、その保育の内容や方法を模範とした幼稚園が全国に広がりを見せるようになって、明治20年代の前半にはその数が100園を超えました。そして、1899(明治32)年には、「幼稚園保育及設備規程」が制定されて、幼稚園は満3歳から小学校に就学するまでの幼児を保育することが明確になりました。その後、明治30年代の終わりごろから私立幼稚園が急増しはじめ、1911(明治44)年に幼児数などに関する規定が緩和されたことを受けて、1916(大正5)年には、官立2園、公立243園に対して、私立が420園にまで増加しました。鍾■美■・仲子(ナカ)夫妻が新潟 ■■■■その一方で、それまでの幼稚園では難しい貧困層の子どもたちへの対応が求められました。これについては、例えば、1883(明治16)年に渡辺嘉重が茨城県で日本で最初の子守学校を開設しています。そして、1890(明治23)年には赤沢県で私塾の「新潟静修学校」に付設して開いた施設で無料で保育したことが、常設の保育所の「はじまり」とされています。また、同年には筧雄平が鳥取県で繁忙期の子どもたちを保護するために農繁期託児所を開設したことが、季節保育所の「はじまり」とされています。他にも、1894(明治27)年の日清戦争や1904(明治産業革命の進行と資本主義の発展による大企業の進出などの影響で、多くの女性労働者が求められました。その中で、1894(明治27)年に東京紡績株式会社に付設されたのが、企業内保育所の「はじまり」とされています。さらに、1900(明治33)年には、野口幽■香■・森島峰(美根)が東京麹町に二葉幼稚園を設立しました。その後、明治時代に東京の三大貧民窟の一つと 「法均尼保育図」  1976(昭和51)年7月1日発行  「仏教保育カリキュラム第9巻第4号」より画・山川恵川画伯令和2年8月1日発行37)年の日露戦争を契機とした第674号(2)

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