202012
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■第677号■「仏教保育」という言葉の登場はじめに《日仏保の歩み⑥》―戦前編「『仏教保育』という言葉のはじまり」―佐藤成道 淑徳大学戦前から今日までの日仏保の歩みの中で、様々な物事が移り変わってきましたが、「仏教保育」という言葉は90年以上も変わらず使用されています。現在、仏教保育ということについて説明する際に言及されることが多い「仏教保育三綱領」(慈心不殺・仏道成就・正業精進)は、1960(昭和35)年に開催された「第6回 において発表されたもので、日仏保の前身である戦前の仏教保育協会の時代に存在してはいませんでした。そのため、本来の「仏教保育」を三綱領で説明することはでアジア国際社会福祉研究所リサーチ・フェロー/曹洞宗全国仏教保育大会」きません。しかしながら、当初期でも「仏教保育」という言葉のはじまりや定義が明確にされていたわけではありません。実際のところは、仏教保育協会の創設の主唱者である堀緑羊が、協会設立と時を同じくして使用し始めた言葉でした。組織を創るにしても、それを象徴するような名称が必要でした。それこそが、「仏教保育」でした。組織名としても名付けられた「仏教保育」という言葉には、「仏教保育」(という事業)を展開するためのある象徴的な旗印としての意味合いが込められていました。戦前の機関誌『仏教保育』創刊号(1932年)で、当時の副会長の関寛之が「仏教保育講和」と題した記事における「仏教保育とは何か」の項目の冒頭で次のように記しています。仏教保育という言葉は、近時、通俗に於て、漠然と、俄に使い出常仙寺副住職  されたもので、特に学問上からここに定義しない限り、使用している人々でも判然とはその意味を自覚していないだろうと思われるほど唐突に現れたものである。仏教保育協会の設立当初から副会長だった関寛之でさえ、「仏教保育」という言葉について、最近「漠然と」「俄に」さらには「唐突に」現れた言葉であることを明かしています。これだけ何度も突然の出現を強調していたということは、それまでなかった「仏教保育」という言葉が、いかに突如として世に出たのかを物語っています。これは次回の『日仏保の歩み』で資料を掲載する予定ですが、「仏教保育」という言葉は、1928(昭和3)年7月に新聞記事として公に初めて登場しました。これを公表したのが、堀緑羊でした。『理想の仏教保育』(代々木書院、1931年)の「序に代えて」の中で、堀は「仏教保育をあくまで提唱したい一人であります」と宣言しています。ところで、この数頁の序章の中で「仏教保育」という言葉が9回も登場し、そのうち「事業」という言葉と結びついた「仏教保育」が5ヶ所で、単独で記されている3ヶ所よりも多くなっています(残り1ヶ所は「仏教保育家」です)。同書では、その後も「仏教保育」という言葉が登場する際には、「事業」という言葉と結びついて使用されることが多く、現在では聞き慣れない表現です。さて、「仏教保育」という言葉が一般的に公表されたのは1928(昭和3)年7月ですが、このはじまりをどのように考えたらよいのでしょうか。その手掛かりとなるのは、堀自身が編んだ『仏教幼稚園経営法』の存在です。この書籍には「仏教幼稚園」という言葉は登場しますが、「仏教保育」という言葉を確認することはできません。本書は1927(昭和2)年10月15日に出版されていますが、それからわずか1年足らずで、堀が「仏教保育」という言葉を使用し始めているのです。つまり、1927(昭和2)年育」という言葉をまだ使用していなかったか、使用していたとしても、当時の仏教系の幼稚園は「仏教保育」という言葉には含めずに使用していたと考えられるため、協会の名称として幼稚園と保育所(託児所)を統一した意味での「仏(1)第677号10月の時点で、堀緑羊は「仏教保令和2年12月1日発行仏教保育2020.December12

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