202011
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仏教保育協会設立へ向けた 8宗派の協力堀緑羊という人が中心になって動き始めたのですが、この方は童話作家でもあったんですが、非常に熱血漢でね、活力旺盛でした。仏教も横の連携をする組織を作らなければ進歩はないということを、みんなに理解してもらわなければならないんですよ。仏教の場合には宗門がありますね。真言宗とか、浄土宗とか、天台宗とかね。そういう宗門の事務局、いまは本部ともいうけれど、そういう宗務所を一軒のこらず、丹念に訪問してね、少しずつ同志を集めたんです。 の内容を見てみると、「仏教保育」という言葉のはじまりや定義、あるいは仏教保育に関する具体的で詳細な説明が書かれているわけではありません。同書の目次を見れば、「幼稚園託児所の設置」「幼稚園託児所の設備」「幼稚園託児所の職員」「幼稚園託児所の入園及編制」「保育衛生」「幼稚園託児所の経費」「保育事務」などの項目が並び、幼稚園や託児所の設置や手続き、敷地の選び方や園舎の建て方、遊園の設備、園児の募集方法、組の編制法、創立費や経常費、維持方法、等々といった幼稚園や託児所の開設や運営などに関する内容が大半を占めています。また、「幼稚園認可願」「入園料及保育料認可願」「園長認可願」「××寺境内使用願」「××寺境内使用承諾書」「入園願書」「何年度私立××幼稚園・託児所予算調」「園児原簿」「園児健康診断カード」「保育日誌」「出席簿」、等々の定型の図表や作成例、建物や敷地の図面などといった実用的な資料が数多く掲載されています。さらには、付録として「幼稚園令」(施行規則と制定の要旨並施行上の注意事項)と「英国保育学校令並訓令」も記載されています。「幼稚園託児所」と書準ずる位置づけだったため、当時では新しい様式といえます。また、『理想の仏教保育』は、仏教と子どもに関係する過去の事績などをまとめ、仏教系の幼稚園や託児所を開設・運営する方法までをも詳しくまとめた読本としては、当時、唯一ともいえる手引書でした。さらに同書には、堀緑羊が仏教保育(という事業)を推し進めようとする思いについて書かれている箇所もあります。具体例として、巻頭言である「序に代えて」と「第1章幼児保育の意義及目的」から、6ヶ所を列記します。①いまや仏教寺院は何等かの形において社会的機能を果し得るもの②「理想の仏教保育」は、教界の第一線に立ちませる雄々しき人達へ捧げる私の精神的表現であります③疲弊する農村日本の現状に鑑み、農村文化向上のために、ぜひ農村には幼児保育の機関が必要であります④少なくとも我が仏教寺院にありては、隣人のために加勢する真心をもって児童愛護の聖業に専心尽瘁して欲しいと思います⑤未来の幼稚園にありては、よろところで、章立てには、幼稚園と託児所をひとまとまりにしたかれている箇所があります。これは、「幼稚園令」が制定されても、託児所などにおいては、統一的な法令や規則が制定されず、幼稚園にしく託児所の使命をも果し得るものであり又託児所は、すべて幼稚園令に拠るべき⑥ブル〔ブルジョアジー:資本家階級〕のためとかプロ〔プロレタリアート:労働者階級〕のためにとかいう捉われの観念はなく、何れも平等の人間の子としてそこに、熱誠と慈愛の保育が行われてこそ、真実光輝あるものと信じます(〔〕内筆者)これらの言葉には、今日の仏教保育にも通じる内容も見受けられます。すべての項目に言及できる紙幅はありませんが、とりわけ④と⑥は、仏教保育の主体について考える際にも、参考になる内容です。『理想の仏教保育』では、他にも関連する言葉が書かれていますが、これらを見るだけでも、堀緑羊が、子どもたちはもちろんのこと、その家族や地域の安寧も意図する「仏教保育」ということを提唱したことが窺えます。堀緑羊は、自身の発願を実現すべく、手引書作成だけでなく、仏教保育(という事業)を組織的に推し進める体制の構築も目指しました。これには、堀が各宗派の保育事業者との連絡統一を図る必要性を主張したことに加え、仏教関係者からも仏教系の幼稚園や託児所などとの連絡統一を図る機関設立の要望が少なからずあったことも背景にありました。この辺りの経緯については、戦前の仏教保育協会の役員で、戦後には、協会の理事長も歴任した青柳義智代の著書『私立幼稚園の昭和史―こぼればなし―』(フレーベル館、1985年)に詳しいので、長文ですが引用することにします。青柳の言葉は、堀の熱血漢で活力旺盛な人柄を平明に伝えています。また、仏教保育協会設立の経緯については、堀が仏教界全体での横のつながりが重要であることを唱道して、各宗派の宗務所を残らず丹念に訪問し、組織の創設を懇願しながら仲間を徐々に増やしていたことを伝えています。これにより、協会創設時に、浄土宗・浄土真宗本願寺派・真宗大谷派・真言宗智山派・真言宗豊山派・曹洞宗・天台宗・日蓮宗という全8宗派もの協力を得ることができたのは、驚くべき結果といえます。さらには、幼児教育の実践家をはじめとした各分野の多くの関係者の協力も得ることができたのです。このような成果は、堀緑羊の並々ならぬ行動力に起因するところが大きいのですが、それだけではなかったはずです。前回の機関紙でも触れましたが、第一次世界大戦の影響による生活苦や米騒動が全国的に起こり、その後、関東大震災や世界恐慌が起こるなど、子どもたちを取り巻く環境が悪化していました。そのよう背景が、仏教界を挙げた社会的な奉仕の実現を熱願するような行動に駆り立てたのではないでしょうか。『理想の仏教保育』では、その大半が幼稚園や託児所の開設・運営などの「物的環境」について書かれています。協会の設立後、全国大会や仏教保育夏期講習会(現在の夏期仏教保育講習会)などによって、このような手引書の全国的な情報共有が展開されることになります。いずれにしましても、仏教園は物的環境のみで充実するわけではありません。堀緑羊は、仏教保育協会設立の以前から、「人的環境」つまり保母養成の必要性も提唱していました。しかし、これを実現するためには、個人の力では限界があります。だからこそ、仏教界が協力する通仏教組織の創設を目指したのです。しかし、組織を創るにしても、それを象徴するような名称が必要でした。それこそが、「仏教保育」だったのです。堀 緑羊 著 『理想の仏教保育』代々木書院発行(同書の「函」より)(3)第676号令和2年11月1日発行

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