202011
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仏教園創設の機運と 堀緑羊の発願堀緑羊『理想の仏教保育』はじめに《日仏保の歩み⑤》 ―戦前編「仏教保育協会設立の経緯」―佐藤成道 仏教保育協会が創設された背景には、昭和天皇御即位を祝う御大典の記念事業であったことや、1926(大正15)年に「幼稚園令」が制定されたこと、そして、仏教園の増加が当時の役員の共通認識としてありました。とりわけ幼稚園令の制定は、これを待ち望んでいた関係者に大きな励みとなりました。そして、幼稚園の開設や運営などの環境が整備されたことで、全国的に仏教関係者の間でも幼稚園や託児所の開設を望む機運が高まりました。しかし、いざ仏教園の開設を発願しても、具体的にどうしたらよいのかわからない関係者が多かったのです。そこに登場したのが、淑徳大学アジア国際社会福祉研究所リサーチ・フェロー/曹洞宗協会の設立を主唱した堀緑羊でした。堀緑羊(本名:信元、1903〜1949)は、曹洞宗の僧侶です。仏教保育の分野では、本名の信元よりも緑羊の名で知られています。著作物を見ると、信元の名前では『脱』(無1924年)、『詩聖大智禅師■陀開山―』(■陀寺、1931年)などがあります。その一方で、緑羊の名前では『ほたるぐさ―童話集―』(国民精神社、1926年)、『仏教幼稚園経営法』(仏教芸術社、1927年)、『理想の仏教保育』(代々木書院、1931年)、『詩吟入門書』(金沢学園詩禅道場、1939年)などがあります(ただし、『詩吟入門書』に関しては、1943年に信元の名前で改訂版が出版されています)。緑羊の名前は、仏教保育や童話関係の出版物などで用いられており、それ以外の仏教関係の書籍は信元の名前で出版していたようです。 ― 解我之声 ■『仏教実演幼児童話童謠集(曲譜「福田会亀戸保育所」で、1922(大正11)年に主事となりました。社、堀は、童話作家でもありました。前出の著作以外にも共著として、及振付つき)』(曹洞宗務院教学部、1936年)を山内勇仙らとともに出版しています。山内勇仙をご存じの方もいらっしゃると思いますが、山内昭道の父君です。前回の機関紙『仏教保育』10月号(第675号)でも触れました1929(昭和4)年に、福田会が経営安定のために保育所を幼稚園へと転換し、さらに世界恐慌の影響を受けて、幼稚園経営を離れることになりました。そこで山内は、それまでの損失を引き受けることで、1932(昭和7)年に幼稚園を譲渡され、翌年から「亀戸幼稚園」として経営を始めました。仏教保育協会では、評議員を務め、再始動した戦後の日仏保では理事長も歴任しています。また、山内昭道も、上村映雄・松樹素道とともに「三羽がらす」として知られ、お二方と共に編著者として『仏教保育365日』(ひかりのくに、1977年)を出版するなど、御親子は日仏保に欠かせない先生方でした。話を戻しますが、幼稚園令制定常仙寺副住職  の頃、堀緑羊は東京の寺島幼稚園に勤めていました。当時、堀が出先へ行くと、「幼稚園をやりたいのですが、何かすぐ間に合う適切な参考書はありませんか」、「お寺を開放して周囲の人たちのために、託児所を設けたいと思いますが、何かよい方法はないものでしょうか」などという真剣な質問をいたるところで受けるような状況でした。堀は、そのような多くの切実な声を耳にしたことで、「そうだ!いま時代の趨勢にめざめてふんぜん立ち上った我が仏■教■■徒のために、その要求に応ずるのが、せめてもの自分の誓願とするところであらねばならない」という思いに至ったのです(『理想の仏教保育』)。そこで、このような発願を実現する方法として、実際的な指導や関係者の連絡統一を図る協力体制を構築することを目指しました。また、堀自身は仏教系の幼稚園や保育所(託児所)などの開設や運営に関する手引書を作成することにも力を注いだのです。『理想の仏教保育』は、堀緑羊の著作で、1931(昭和6)年に出版されました。これは、本のタイトルに「仏教保育」という言葉が独立した形で入っているおそらく最初の書籍です。その一方で、単独ではありませんが、「仏教保育」という文字が主題に入った書は、堀がすでに編んでいました。それは、『仏教保育事業経営の常識』で、『理想の仏教保育』よりも前に出版された冊子です。しかし、具体的な時期は不明で、詳細な中身まで確認することはできません。それでも、前項の彼の著作物で触れた『仏教幼稚園経営法』(1927年)と並列させて堀が言及していることから、おそらくほぼ同時期に出版されたと推測されます。これに関しては、次回の『日仏保の歩み』でお話しする「仏教保育」という言葉のはじまりに関係してくるので省略しますが、『仏教保育事業経営の常識』にある「仏教保育」という言葉は、『理想の仏教保育』とは異なる中身である可能性があります。それは「仏教保育」という言葉が単独で用いられず「仏教保育事業経営」と表現され、事業経営とひとまとまりになっているからです。さらに、『仏教幼稚園経営法』で対象としている幼稚園以外の託児所などを対象とした言葉の可能性もあるからです。今後、戦前の仏教保育協会の目的や事業内容についてお話しする際に言及しますが、「仏教保育」という言葉が示す範囲は広いです。事業経営は大きな枠組みとして、また重要な要素の一つではありますが、これだけに特化しているわけではありません。さらに、『仏教幼稚園経営法』と並列して言及されていることから、幼稚園は含まずに託児所などだけを対象とした内容であるとも考えられます。そのため、幼稚園も託児所も対象とした保育の意義や目的、さらには仏教保育協会についても書かれている『理想の仏教保育』は、堀自身がこれ以前に著した冊子とは異なるものです。それでも、『理想の仏教保育』令和2年11月1日発行第676号(2)

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